給食にコーンフレーク


 私は小学生時代、給食でコーンフレークを何度か食べたことがある。福岡市立小学校に通っていた3、4年生頃の話で、時代で言えば1970年代。ケロッグやシスコーンが販売され、田舎の小学生にとっても珍しいものではなくなっていたが、何しろ学校給食である。当時の給食と言えば、主食は来る日も来る日もコッペパンか食パンばかり(米飯給食は始まっていなかった)。初めてメニューに登場した日、給食係がコーンフレークがザクザク入った容器を運んできた途端、教室内は騒然となった。

 先ほど書いたように、ケロッグなどは私のような貧しい家庭の子供でも普通に手に出来る食品だったが、実はそれは一種のスナック菓子としてであり、箱から手づかみでバリバリ食べていたのだ。テレビCMのように、牛乳をかけて本当に朝食として食べているような子供は、私の周囲では多分少数派だったと思う。そんな中で、いきなり給食に登場したのである。この時の感覚を説明するのがすごく難しいのだが、「こんなものを食事として食べても許されるんだ」といった気持ちだった。

 いつもはカレーシチューや八宝菜といった副菜がつがれるアルマイトの食器に、この日ばかりはコーンフレークを入れ、さらに瓶から牛乳を注いで、先割れスプーンで食べた。教室中に幸福感みたいなものが広がった。この程度で幸せになるのだから、昭和時代の子供は単純なものである。

 この時以降、年に1、2度の希少なメニューとしてコーンフレークは現れ、その度に教室はお祭り騒ぎとなった。私は5年生になると市外に引っ越し、残念ながら次の学校ではお目にかかることはなかった。「前の学校ではケロッグが給食に出た」と言っても、新しい級友たちは誰も信じてくれなかったものだ。

 この話をふと思い出し、福岡市の小学校ではまだ給食に出ているのだろうかと2年間の献立(市の公式サイトに掲載されている)を調べてみたが、一度もなかった。インターネット検索をしてみても、コーンフレークを衣にして揚げた「コーンフレークチキン」なる給食メニューはあったが、そのものが出てくるのは保育園ぐらいのようである。あれは相当特殊なメニューだったのだろうか。パンの代わりで、副菜は別にあったのだから、手抜きメニューだったわけではないと思うが。

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 ところで、この話を書いていて少し懐かしくなったため、小学校3、4年生の頃に通った学校のホームページを見ていたら、校歌の作詞・作曲者が上の写真のように紹介されていた。作曲者となっている長井盛之氏は詩人、作詞の安永武一郎氏は九州交響楽団の永久名誉指揮者として知られる福岡では有名な音楽家だ。二人とも多くの学校の校歌を手掛けているが、肩書を見てわかるように役割分担は普通逆である。<1>学校のHPが単に間違っているのか<2>たまには違うことをしてみたいと二人がこの学校では役割を交換したのか。<2>のケースと考えた方が面白いので、学校には黙っておこう。
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