続・陸軍が掘ったペグマタイト

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 戦前から戦中にかけて、福岡市西区今宿の長垂山で陸軍がペグマタイトを採掘していた話を昨年10月に書いた(「陸軍が掘ったペグマタイト」)。陸軍が欲しがっていたのはリシア雲母に含まれるリチウムだが、何に利用していたかは現在となっては不明らしい。何とか突き止められないかと、その後も色々資料を物色していたのだが、二つばかり関係ありそうな情報が得られた。結論から言えば、一つは完全に見込み違いだったが、面白かったので顛末を書いておきたい。

 一つは前回にも書いたリチウム合金。国立国会図書館の近代デジタルライブラリーに収録されている大東亜省調査資料『特殊金属の重要性とその對策』(1943年)に以下のような一文があった。(原文は旧漢字)

 「金属材料が大東亜戦遂行にあたり、如何に重要なる位置を占むるものなるかは今こゝに喋々するを要せざるなり。此金属材料と呼称するものには、単体金属として使用するものと合金となすものとあり」「輓近航空機兵器等精密機器の発達は其の性能の高度化するに従って特殊金属の需要を加え、今日之なくしては其の用を弁じ得ざるものあり」。

 この特殊金属の中にリチウムが含まれる。大東亜省とは植民地支配を担った官庁で、当時の政府が軍事利用の面から特殊金属を重要視していたことがわかる。長垂山と同じくリシア雲母を含むペグマタイト岩脈を朝鮮半島で発見し、調査を行った記録も別資料にある(実際に採掘したかはわからなかった)。状況証拠に過ぎないが、リチウム合金はやはり有力候補とは言えるかもしれない。

 もう一つは、軍用気球用の水素製造にリチウムを使用したというものだ。軍事用の気球といえば、福岡県内では戦時中、現在の北九州市小倉北区にあった兵器工場、小倉陸軍造兵廠で風船爆弾の製造が行われている。見込み違いだったのはこちらだが、最初はドンピシャの情報に行き当たったのではないかと思った。

 風船爆弾とは、爆弾を搭載した気球をジェット気流に乗せ、米国西海岸を攻撃しようとした兵器だ。現在となっては奇想天外に思えるが、実際に1万球近くが放たれ、300球以上が米本土に到達、死者や山火事などの被害を与えたと言われる。米側は現実の被害以上にこの兵器を危険視したらしい。爆弾ではなく細菌兵器や毒ガスが搭載される可能性に恐怖したのだ。長崎原爆の第一目標が本当は小倉だったというのは有名な話だが、これは小倉造兵廠を破壊し、風船爆弾製造を中止に追い込む狙いだったという見方さえある。

 風船爆弾の基地があったのは、千葉県一宮、茨城県大津、福島県勿来の3か所。気球本体とともに水素も小倉造兵廠で製造し、基地に輸送していたのではないかと思いついたのだが、水素製造工場はあっさり調べがついた。大津には工場が併設され、他の2基地には日本鉱業王子工場、昭和電工川崎・横浜工場からボンベが送られていたという。水素の製造法も、ケイ酸鉄の粉末に水酸化ナトリウムと海水を加えるというもので、残念ながらリチウムは使われていなかった。

 素人が少々資料を漁ったぐらいで突き止められる話ではないことは十分に理解したが、興味深い話なので、今後も調べは続けていきたい。

 風船爆弾、小倉造兵廠については『写真記録 風船爆弾―乙女たちの青春』(林えいだい編集、あらき書店、1985)、『風船爆弾―純国産兵器「ふ号」の記録』(吉野興一、朝日新聞社、2000)、『小倉陸軍造兵廠』改訂版(中原澄子、創言社、2012)などを参考にした。なお『写真記録 風船爆弾―乙女たちの青春』に一文を寄せた開発担当者によると、風船爆弾とは戦後、新聞(恐らく朝日新聞)が名付けたもので、関係者の間では上記書名にある「ふ号」または「ふ号兵器」と呼ばれていたという。写真は長垂山の下の海岸に突き出るペグマタイト岩脈。



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