免田町主婦殺害事件

 父方の祖母は事件の噂話が大好きな人で、生前、福岡から子供たちが里帰りする度、地元で起きた凶悪事件の顛末を語っていた。祖母が暮らしていた熊本県の人吉・球磨地方は九州山地に抱かれたのどかな土地だが、過去には人吉市で起きた祈祷師一家4人殺傷事件、免田町(現・あさぎり町)の主婦殺害事件などで世間を騒がせたこともある。祈祷師一家殺傷事件は一般的に「免田事件」と呼ばれているが、犯人とされた免田栄さんには再審無罪が下っている。

 主婦殺害事件でも金川一死刑囚(62)が長く冤罪を訴え、日弁連の支援を得て再審請求を繰り返している。事件を伝える当時の新聞記事を読むと、後に再審請求でクローズアップされる凶器が二転三転しており、確かに不可解な点が残る事件ではある。

 事件の経過を振り返ると、21歳主婦の惨殺死体が免田町のトウモロコシ畑で見つかったのは1979年9月11日午後。当時の読売新聞は「若妻が絞殺されたうえ、下腹部をカマで切り裂かれた遺体で発見された」と事件発生を伝え、「遺体のそばに血のついた○○さんの草刈りガマがあった」(被害者名は伏せた)とも書いている。

 ところが、翌日に金川死刑囚が逮捕された際の報道では、「ヤスリを改造した刃物で下腹部をめった突きにした」と変わり、凶器だったはずの草刈りガマは消えている。裁判段階になると「左手で首を絞め、右手のあいくちで下腹部などを二十回刺して殺した」とまたも変わっている。しかも、この凶器は結局発見されないまま終わっているのだ。

 最初の報道以降、消えていた草刈りガマが再び表舞台に出てくるのは第2次再審請求の際で、弁護側は血のついたカマが証拠申請されていなかったことを指摘し、「捜査側の対応は不自然で、犯罪の事実認定に合理的疑いがある」と追及した。この請求は2004年に棄却されているが、肝心の凶器一つをとっても未解明な部分があることを公にしたとは言えるだろう。

 金川死刑囚は事件当時、29歳。少年時代に犯した強盗殺人の罪で10年間服役、事件の3ヶ月前に出所したばかりだった。免田町には養父を訪ねてきていたという。事件翌日の朝には重要参考人として拘束され、午後には犯行を自供している(公判段階で否認に転じる)。本人自身も主婦の遺体を発見し触れたことまでは認めており、凶器の問題を別にすれば、彼が犯人であっても矛盾はない。

 ただ、あえて付け加えれば、彼には知的障害があり、弁護側によると「相手側に安易に同調する傾向」があったという。凶器という物証もなく、有罪認定は彼の当初の自供に負うところも大きいだけに、こういった事案では再審請求のハードルを下げ、もう一度審理を尽くしてはどうかと思う。あくまでも素人考えに過ぎないが、「無辜の救済」という再審の理念にも沿うし、再審でも死刑判決が支持されたケースではこれ以降、請求要件を厳格化すれば、延命のための安易な請求をシャットアウトすることにもつながるのではないだろうか。
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