死刑と無期の分かれ目


 先日、静岡県三島市で2002年に起きた女子短大生焼殺事件を取り上げたが、この13年前の1989年、福岡市で全く同じような事件が起きている。男がアルバイト先から帰宅中だった女子大生を車ではね、車内に連れ込み乱暴しようとしたが、抵抗されたため洋酒をかけて火を付けたという事件だ。大やけどを負った女子大生は意識不明の重体となり、意識を取り戻すことなく約1ヶ月後に亡くなっている。

 この事件で逮捕されたのは長崎県諫早市出身の野中豊で、当時33歳。三島の焼殺事件で死刑が執行された服部純也とは、起こした事件がそっくりというだけでなく、残虐粗暴な性格・行状まで双生児のように瓜二つだが、野中に下された判決は死刑ではなく求刑通りの無期懲役。1審・福岡地裁判決に至っては懲役20年に過ぎなかった。残虐な事件に対する社会全体の処罰感情が13年の間に変化し、2人の生死を分けたように思える。

 野中が事件を起こしたのは1989年8月9日深夜。福岡市内ではこの事件前、アベックを車ではね、女性だけを拉致して暴行するなどの凶悪事件が続発していた。警察は同一犯とにらみ、暴行被害者の女性が覚えていた“ユタカ”という名前を手掛かりに捜査を進め、一時は別の“ユタカ”が捜査線上に浮かんだ。この男は別件で逮捕され、実名で大報道されたが、強固なアリバイがありシロ。事件から2ヶ月以上がたっても警察は深刻な冤罪事件を引き起こしただけで、捜査に進展は見られなかった。

 野中逮捕も警察ではなく、民間人のお手柄だ。10月18日夜、博多区内でひったくり事件を起こし、目撃した通行人に取り押さえられたのだ。女性を後ろから押し倒しバッグを奪うという荒っぽい手口が女子大生焼殺事件やアベック女性拉致事件と似通っていること、何より名前が“ユタカ”であることに警察は色めき立った。野中が数々の犯行を自供したのは、現行犯逮捕から約1週間後のことだ。

 この10年前の1979年、福岡市内の私立大生だった野中は女性だけを狙った連続強盗致傷事件を起こし、懲役10年の判決を受け、服役している。87年に仮出所し、保護観察期間中に犯行を繰り返していた。2審・福岡高裁は「炎の中に生きながら放置し殺した行為はあまりに冷酷で、酌量の余地はない」と1審判決を破棄し、無期懲役を言い渡したが、この判決理由は服部への死刑判決とほぼ同じ内容だ。死刑と無期との分かれ目はやはり“時代”だったとしか思えない。

 福岡で起きた女子大生焼殺は三島事件に比べて社会的知名度は低く、ネット上の情報も決して多くはない。これは事件の発生日が影響しているのではないかと思う。1989年8月9日とは、連続幼児誘拐殺人事件の宮崎勤が一連の犯行を認め始めた日なのだ。この日以降、犯罪報道は宮崎事件一色となった。女子大生焼殺事件は恐らく、全国的にはほとんど報道されなかったのだろう。残虐事件に対する社会全体の処罰感情が変化したのではないかと上で書いたが、その契機となったのがオウム真理教による一連の事件とこの宮崎勤の事件ではないかと私は思っている。
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