佐賀替え玉保険金殺人


 このブログを始めるまで、古い犯罪に格別関心があったわけではないが、1981年1月に佐賀県肥前町(合併で現在は唐津市)で起きた替え玉保険金殺人は妙に印象に残っている。翌年には火曜サスペンス劇場でドラマ化され、たまたまこの番組を見たことも印象深い理由だと思うが、事件の構図は当時としては特異なものであり、結末もショッキングなものだった。しかし、発生から30年以上が経った現在、事件の記憶は完全に風化したのか、例えば、ウィキペディアには発生年月日以外の情報はない。

 替え玉保険殺人事件とは、多額の借金を負った北九州市の水産会社社長S(当時42歳)が自らに掛けた数億円もの生命保険金をだまし取ろうと、妻・K美(同41歳)や愛人・T子(同43歳)と共謀、無関係の第三者を身代わりとして殺害したというものだ。競艇場で知り合った男をバットで殴って失神させた後、車ごと海に転落させて殺害するという荒っぽい手口。捜査に当たった佐賀県警も交通事故を偽装した殺人だと即座に見抜いたが、被害者の身元については、まんまとだまされた。所持品の中にSの名刺があり、連絡を取ったK美が夫だと認めたため、それ以上の確認をしないまま「S殺害事件」として福岡県警と合同捜査を開始した。

 間もなくSの会社の従業員であり、愛人でもあったT子が逮捕され、殺害を自供したが、もう一人、重要参考人として事情聴取を受けたのが妻のK美だった。本来は相いれないはずの女二人が手を組んでSを殺害した疑いが浮上し、地元は騒然となった。だが、事件にはさらなるどんでん返しが待ち受けていた。連日の事情聴取にK美がついに、事件を計画し、実行したのがS本人であり、遺体は別人であることを自供したのだ。潜伏中だったSはこれを知って逃げられないと悟り、国鉄新下関駅で列車に飛び込んだ。S自殺の急報が警察に入ったのは、替え玉殺人だったことを発表する記者会見の直後だったと当時の新聞は伝えている。

 ここで佐賀県警の致命的失態が問題となった。K美の「遺体は夫」との言葉を鵜呑みにし、指紋照合さえ怠っていたことが明らかになったのだ。遺体の身元さえきちんと確認していれば、最初から替え玉殺人としてSの関与が疑われ、結末は違っていた可能性があるだろう。哀れなのは身代わりで殺害された男性とその遺族で、男性はすでにSとして弔われていたため、本来の葬儀の際には遺骨さえなく、遺族は「警察がしっかりしてさえいれば…」と泣き崩れたという。

 佐賀県警はこの後も“仕事が捌けない”ことを相次いで露呈し、地元で「さばけんけい」と揶揄されることになる。代表的なのが女性7人連続殺人事件を未解決に終わらせたことだが、佐賀・長崎連続保険殺人で第一の事件を見逃し、結果として第二の事件を招いたことなど類例は他にも多い。逮捕され裁かれるべき犯罪者が野放しになり、また凶悪事件を起こしているのだから、捜査能力の低さは犯罪的と言っていい。
 
 2000年6月、愛知県弥富町で似たような事件が起きている。停車中のコンテナ車にトラックが激突、助手席の会社社長が死亡し、運転手が姿を消した。だが、死亡したのは無職の男性であり、わざと車を衝突させ、男性を殺害した運転手こそが死んだはずの会社社長だった。愛知県警も関係者の証言にだまされ、替え玉殺人と気付いたのは発生から1週間以上も後のことだった。同県警は社長の潜伏先を突き止め、逮捕したものの、留置所内で首吊り自殺を許した。佐賀の事件の教訓は、他県警には生かされなかったようだ。

 話を佐賀の事件に戻すと、Sの自殺を警察官から伝えられたK美は思わず「私が死にたかった」と漏らしたらしい。冒頭に紹介した火曜サスペンス劇場でのドラマ化作品はこの言葉がそのままタイトルになっている。キャストは中村メイコ、野川由美子、山田吾一らで、ラストシーンは犯罪者の遺児となった少女が好奇の視線を浴びながら、無表情に登校していくという結構辛いものだった。

 殺人罪に問われたK美、T子には1984年5月21日、佐賀地裁唐津支部で判決が下された。裁判所は、事件に対する二人の関与度合いは異なると判断し、共犯と認めたT子に懲役7年、一方のK美の罪は殺人幇助にとどまるとして懲役4年と量刑に差を付けた。Sの犯罪のパートナーは正妻のK美ではなく、愛人のT子だったことになるが、この理由は古い新聞記事を読んだだけではわからなかった。写真は、Sの潜伏場所があった福岡市西部の旧国道沿い。Sは替え玉殺人決行の前、偽名でマンションの一室を借りていたという。
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