海洋指向型古墳

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 連休期間中、山口県下関市にある道の駅「北浦街道 豊北」に立ち寄った。昨年3月、海に面した丘陵地を切り開いて開業した新しい道の駅だ。この敷地内に和久1号古墳という6世紀後半(古墳時代後期)の円墳があり、墳丘が展望広場になっていた。せっかくだからと海を見下ろす広場に上がってみると、珍しいことに横穴式石室がむき出しの状態で保存・公開されており、そばには石室の天井石も並べられていた。

 周囲の丘陵が完全に削り取られているため、かなり巨大な円墳に見えるが、石室前にあった説明板によると、直径10m、高さは2.5m程度だったと推定されるという。一帯を治めた首長クラスの墳墓とみられ、旧豊北町時代の1981年(昭和56年)に史跡指定されている。ただし、本格的な発掘調査や史跡整備は、今回の道の駅建設に合わせて行われている。石室を覆っていた天井石は危険な状態だったため、この時に取り払われたようだ。“1号古墳”と名付けられてはいるが、周囲に別の古墳があるわけではないらしい。

 史跡指定よりも前の1972年に発行された『豊北町史』には、この古墳は築港古墳という別の名前で紹介され、「急傾斜なこの丘陵の頂上は、せまいが平坦な雑木林である。ここには、古来鬼のカマと伝承のある一基の横穴石室がある」「石室の中央部分にあたる天井石は失われており、かって盗掘にあったことが伝えられている」などと当時の状況が説明されている。

 鬼のカマ(説明板には“鬼のカマド”と表記されている)と古くから呼ばれていたぐらいだから、墳丘の盛り土ははるか昔に流出していたのだろう。『豊北町史』には当時の写真も掲載されているが、大きな天井石の下に狭い開口部があり、前には土器らしき物が転がっている。古墳というよりも支石墓(ドルメン)のようにも見える。周囲は薄暗いヤブのような状態で、観光地化された現在とは別の遺構のようだ。

 被葬者に関する情報はほとんどないようだが、これだけ海に近い場所に葬られたのだから、交易や漁業など海を舞台に富を築いた人物なのだろう。豊北町のお隣にあった豊浦町(現在はいずれも下関市)の町史(1982年発行)は、山口県内の古墳は立地場所が二つに分かれると記している。

 一つは前面に水田地帯が広がった丘陵地や麓(全国的にはこれが多い)。もう一つが和久1号古墳のように海上交通の要衝を見下ろす丘の頂に造営されたケースで、町史は後者を“海洋指向型の古墳”と名付けている。あまり市民権を得た言葉ではないが、響灘の雄大な景観を望む和久1号古墳には非常にふさわしいネーミングだと思った。


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