少し物足りない軍艦島



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 15日に長崎市の軍艦島(端島)に行ってきた。本州を襲った台風18号のため東シナ海もやや荒れ模様で、クルーズ船はかなり揺れたが、無事に上陸はできた。廃虚が並ぶ島の景観には感動した。しかし、倒壊の危険性を理由に見学可能な場所が極めて狭い範囲に限られているため、少し物足りなかったというのが正直な気持ちだ。島への上陸が35年ぶりに解禁されたのは2009年4月。現在までに約40万人の観光客が訪れたというが、同じような感想を持った人が恐らく多いのではないだろうか。

 きょう17日には、軍艦島をはじめとする「明治日本の産業革命遺産」がユネスコの世界遺産に推薦されることが正式に決まった。風化が進む軍艦島の建物群について、長崎市には以前「崩れ去る過程を見せることにも意義がある」という考えもあったらしい。だが、世界遺産登録には国内法で保護されていることが前提となる。このため現在では島全体を国史跡とすることを目指し、炭坑関連施設や一部高層アパートの保存を検討しているという。

 建物の保存には多くの金と時間が必要だとは思うが、「明治日本の産業革命遺産」の登録可否が審査されるのは2年後の世界遺産委員会だ。もはやのんびりできる状況ではない。そう遠くない将来には高層アパートなどの保存工事が行われ、我々一般人も近付けるようになるものと期待している。立ち入り禁止区域の写真はグーグルストリートビューで公開されているが、出来るならば自分の目でじっくり見たいものだ。(※軍艦島などの保存策が遅れているため、長崎県や長崎市は、産業遺産よりも「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の方を先に世界遺産として推薦するよう国に求めていたようだ)

 話は変わるが、軍艦島という名前の由来は、地元の長崎日日新聞が1921年(大正10年)、長崎港の三菱造船所で建造中だった戦艦土佐にシルエットが似ていると報じたためだという。軍艦島が軍艦に似ているという点については異論はないが、素人目には戦艦などどれも同じような形に見える。数ある戦艦の中で、土佐だけに似ているというポイントは何かあったのだろうかと疑問に思わないでもない。

 たまたま記事が出た際、日本海軍が威信を懸けて建造していた「超ド級戦艦」土佐が長崎港内にあり、日本の近代化の一端を担っていた端島炭坑を称える意味もあって土佐に例えたのではないだろうか。肝心の記事を見つけることが出来ず全文を読んでいないため、私の勝手な想像に過ぎないが。

 なお、土佐は記事が出た翌年の1922年、ワシントン海軍軍縮条約締結により建造中止が決定。魚雷などの標的艦として利用された後、25年に四国沖で自沈したという。太平洋戦争を戦っていない船のため、何となく“大昔の戦艦”と誤解していたが、旧日本海軍で土佐よりも新しい戦艦はあの大和、武蔵だけなのである。



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