別府巡査殺しの謎


 先日、大分県宇佐市に行ってきた。宇佐神宮に参拝し、境内に保存してあるSLクラウス号を見学してきたが、宇佐神宮だけが目当てだったわけではない。同市の四日市地区にあったという防空壕にも行きたかったのだ。だが、下調べが不十分だったこともあり、探し当てることが出来なかった。あるいは、そもそも現在では存在さえしていないのかもしれない。

 この防空壕とは今から半世紀以上前の1962年2月17日、別府市内の派出所に勤務していた巡査(以下、G巡査と表記)の絞殺遺体が見つかった場所だ。G巡査はこの6日前、一人で勤務中に派出所から連れ去られていた。遺体は下着姿。制服や拳銃、警察手帳が奪われていたという。不謹慎とは思ったが、数々の謎を残したまま15年後の1977年に時効となった事件のため、現場の一つをこの目で確かめたかったのだ。

 ついに容疑者を突き止められなかった事件だとはいえ、手掛かりがまったくなかったわけではない。それどころか、奪われた拳銃は事件から8年後の1970年12月、兵庫県尼崎市の暴力団幹部射殺事件に使われたことが明らかとなっている。銃弾の線条痕がG巡査の拳銃と一致したのだ。この事件は内紛で、実行犯の男は翌71年1月に逮捕されたが、拳銃は犯行後、海に捨てたと供述。入手ルートについては頑なに口を閉ざしたまま病死した。

 また、射殺犯逮捕の翌月の2月には「別府の暴力団が古井戸で銃の試し打ちをした」との情報提供に基づき、大分県警が古井戸を浚ったところ、数年間水に浸かっていたと思われる銃弾が複数見つかった。このうちの1発がG巡査の拳銃から発射されたものと確認されたという。尼崎と別府の組は同じ山口組系列。G巡査殺害の実行犯は不明とはいえ、彼の拳銃が最終的に暴力団に渡ったことは間違いない。古井戸の銃弾が古かったことを考えれば、先に巡査殺害事件の地元である別府の組が手に入れ、その後何らかの形で尼崎に流れたということになるだろう。

 G巡査殺害事件の起きた1962年初頭、福岡、大分は不穏な空気に包まれていたという。この年の1月、山口組に所属する通称“夜桜銀次”が福岡市内で射殺されたことをきっかけに、山口組と地元・福岡県筑豊地区の暴力団が一触即発の状態となっていたためだ。G巡査殺害の直前、抗争のため福岡市内に集結していた多数の山口組組員が凶器準備集合罪などで福岡県警に逮捕される大騒動さえ起きている。

 警官を襲い拳銃を奪う事件は現在に至るまで全国で数々起きているが、多くは銃を手に入れるのが困難な、組織に属さない犯罪者やガンマニアの犯行であり、暴力団員による犯行はゼロではないが極めて稀なケースだ。暴力団員は、一般人に比べれば比較的容易に闇のルートで銃器を手に入れることができ、警官を襲うというリスクの大きい行為を犯す必要がないからだろう。当時の西日本新聞記事の見出しを追っていくと、大分県警は事件発生当初、暴力団ではなく、白タク行為(無認可タクシー)で稼いでいた一種の“半グレ”集団に狙いを定めていたようでもある。

 一方で、上記のように暴力団抗争が起きる寸前の状況下だっただけに、「対立する暴力団を油断させて襲うため、拳銃ではなく本当は警官の制服を欲しがったのではないか」という推測もあったらしい。

 未解決のまま時効となった事件だから、何が真相であったか知るすべはないが、Wikipediaのこの事件についてのページに異様な記述がある。現在の本文には当たり障りのないことしか書いていないのだが、削除された過去の記述に真犯人を通報したという人物による記載があるのだ(履歴表示やノートで現在も読むことはできる)。

 その内容を要約すると、真犯人は拳銃を暴力団に売りつけ、一儲けしようとたくらんだ4人組で、別府の組と商談がまとまり巡査殺害事件を起こした。この4人組は“当該ページの執筆者本人”が警察に通報し逮捕されたが、全員が拘置所で自殺し事件は迷宮入りしたという。肝心の巡査の名前を間違っており、でたらめと決めつければ済む話だが、妙な生々しさも感じる。事件の謎がまた一つ増えたような気分だ。
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コメント

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こんにちは 50年前にこんな事件が起こっていたのですね
銃だけでなく 制服も身ぐるみ剥がされてるというのは 変装目的も
あったのでしょうか・・・・
謎の多い事件ですよね

Re: タイトルなし

こんな変なブログに訪問いただき、ありがとうございました。
おっしゃる通り、拳銃ではなく本当は制服が狙いだったのではないかという推測は当時もあったようです。
「東京拘置所」という記事で触れているのですが、別府の巡査殺害の話を書いた直後に、東京・綾瀬警察署の警官が拳銃を持ったまま行方不明になり、ドキリとしました。
この警官は自分から行方をくらましたらしく、逮捕されましたが。

視点と探究心 素晴らしいと思います
そういえば若い警察官たまに勤務中に行方不明に
なる失踪事件 何度か起こっていますね
このような殺害でなくてよかったですが・・・・・
閉まらない話ですよね

Re: タイトルなし

過分なお褒めの言葉をいただき、恥ずかしいぐらいです。
改めましてコメントありがとうございました。

この事件を初めて知りました
地元の暴力団が絡んでいるのは間違いないですね

G秀麿巡査殺害事件について、G巡査は刑事から巡査に降格。別府の有名なヤクザIと深い関係にあったからです。映画『県警と組織暴力』の菅原文太の巡査と松方弘樹のヤクザは、本当はこの事件を題材にしています。なぜG巡査が被害者だっのか、G巡査だからなのです。ヤクザIは、博多事件で逃亡して一週間後、宮崎市で逮捕されています。その間にG巡査殺害事件は起きています。G巡査はヤクザIの秘密を知っていて、裏切る可能性があったからだと思います。

Re: タイトルなし

貴重なコメントをいただき、ありがとうございました。
この記事を書くに際しては当時の新聞記事をはじめ、いろいろ資料を当たりましたが、まったく書かれていなかったお話です。
当時を知る人々には周知の話でも時がたつ間に風化してしまう情報があるのだと痛感しました。

後藤巡査遺体発見場所の防空壕について、宇佐市四日市町国道10号線沿いの以前はベスト電器サンリブ四日市店、その後は空フロアになりましたが、現在地はマルショクサン リブ四日 市店ではないでしょう か?。ウソか誠か、その近くにお地蔵様があるそうです、後藤巡査慰霊の為だとか、本当か疑問?ですが。交通事故者の慰霊ではないかと思います。ガセネタであれば、申し訳ない。

Re: タイトルなし

重ね重ね貴重な情報をありがとうございます。
宇佐を再訪する際にはぜひお地蔵さまを確認してきたいと思います。

駄田泉様へ
私の取るに足らないコメント戴きありがとうございます。
防空壕の場所についての出典は、『宇佐市ってどうよパート10、2ちゃんねる』の170前後のあたりです。
四日市ベスト電器あたりが遺体発見の防空壕、お地蔵さんがあるとの書き込みがありました。
グーグルのストリートビューでみる限り、お地蔵様らしきものはありません。ただお店の前の道路沿いに妙に狭い空地があり、植栽で回りが囲まれています。もしかしたら、………。
ガセネタかも。現在は周囲は平地であり、こんな所に防空壕があったのかという、感じです。
住所は宇佐市大字四日市1447ー4。ご迷惑とは、思いますが、また書き込みをさせて下さい。
公的文書に残されている、大分県警の摩訶不思議な捜査、当時の警察庁九州管区の寺田公安部長は初動捜査のミスと認めている内容についてです。

Re: タイトルなし

コメントありがとうございました。
防空壕の位置については、私が捜索したのは旧ベスト電器四日市店よりも中津寄りの宇佐支援学校がある辺りです。
この一帯は糸口山と呼ばれており、私が調べた古い新聞に「通称糸口山の東側」に防空壕があると書かれていたためです。
ただし、ここも木は茂っていたものの“山”と呼ぶには平たい場所で、防空壕が掘られていたとは思えない場所でした。開発等で1960年代とは地形が変わっている可能性はありますが。

防空壕の具体的な場所については、色々と実は調べたのですがよくわかりません。四日市ベスト電器(現在は閉店)の近くに『なるみ旅館』というのが、あるみたいなので、大分に行く機会があれば宿泊して、お聞きしたいと思っています。警察庁の九州管区の当時の公安部長の寺田氏が毎日新聞で初動捜査のミスと認めている事を、昭和39年2月18日の衆議院予算委員会分科会で、二宮武夫委員(大分一区選出)が質問しています。後藤巡査が20時に交通取り締 りのための集合場所に来なかったのに、報告せず。23時連絡がつかない時点で行方不明と騒ぎになり、翌日早朝に警官を非常召集。翌日20時に捜査本部を置く。驚くべきは、死体発見後即ち一週間後から山の手派出所付近の車の通りや人の出入りや人の通りの聞き込みを始めている事です。二宮武夫議員は事件後一ヶ月、昭和37年3月の委員会においてこの事件について質問しています。
後藤巡査は肺結核で長期休職後、復職していて病弱だとか、外勤勤務が長いとか。外勤勤務が派出所勤務なのかどうかは、分かりません。内勤を事務官とした場合は外勤はすべての警察官を含む場合があります。また、肺結核者が激務の警察官に簡単に復職出来るのでしょうか?幻影城1976年8月号、高原弘吉『時効のあとで』をようやく手に入れました。長くなりましたので、また。

Re: タイトルなし

度々貴重な情報をありがとうございます。
衆院予算委員会でG巡査殺害事件が取り上げられたことはまったく知りませんでした。
G巡査の経歴についてもあまり調べてはいませんでした。私も皆さんからいただいたコメント等を参考に、この事件についてもっと突っ込んでみたいと思います。

幻影城1976年8月号、高原弘吉『時効のあとで』。恐らくこの内容がこの事件にたいして一番詳しい調査内容だと思います。驚く事実が大変多いです。遺体発見場所は宇佐郡久々老(女偏に老)部落、四日市糸山口、旧小倉造兵分工厰場の防空壕、別府寄りの二つ目の壕。後に爆破されました。発見の元になった血のついたシャツは婦人の経血と鑑定され、事件とは無関係な物であった。殺害現場は別府球場付近との推定がなされている。事件当夜午後7時から30分の間の派出所前の通行人80人の供述。信頼度の高い主婦の目撃証言は午後7時10分頃、乗用車を運転して派出所前を通りかかった時、派出所の外に巡査の制服姿が見えたので検問と思いスピードを落とした。すると派出所から五メートルほど離れた所に立っていた男が近づいてきて車を覗きこんだ。30才ぐらいの土工風だった。そして派出所前でG巡査が別の二人の男と向かい合いで立っていた。1人は長身の黒っぽい服を着た25、6才の男、もう1人は30才を過ぎた感じの土工風の男だった、という。この主婦が車で去って10分足らず後の目撃者、高校一年生S君は友達の自転車を借りに行く為に、派出所前の坂道を上っていた。時刻は7時20分頃であった。すると派出所の玄関から九ちゃん刈りの男が飛び出してきて、その後五メートルばかり間隔をおいてG巡査が出てきて、九ちゃん刈りの後からついて歩いた。九ちゃん刈りは坂本九である。慎太郎刈りとした新聞もある。S君はなにか事件でもおこったもしれないと好奇心をいだきながら尾行した。別府球場沿いの道をあるきながら前を行くG巡査と九ちゃん刈りの男の会話を聞いている。G巡査『何人おんのか』九ちゃん刈り『三人おるんだ』四人とも聞こえたが、どちらかはっきりしない。G巡査『そんならいいじゃねえか』、S君は大した事件でもなさそうだと思い、これ以上の遠回りはゴメンと、分かれ道を上って行った。続きはまた。


続き、S君にもっと好奇心があったら、その先の決め手となる会話を耳にしてうたかも知れない。
この後藤巡査と九ちゃん刈りの会話から推測されるのは、クルマの事故、そしてクルマの中に急病人がいる、といったようなことで後藤巡査に手助けを頼んだのではないか。誘い出しの手段の急訴が考えられる。
遺留品にシンセイとライターがあったのも、タバコ好きの後藤巡査としては、すぐに片付く訴えと見て気軽に出はかけたことが考えられる。
だが一方疑問も残る。別府球場(当然、旧別府球場、現在は別府アリーナ?)入り口近くは『田の湯派出所』の受け持ち区域である。急訴呼び出しで他の地域に出かけるのは少々おかしい。後藤巡査は近所で喧嘩があっても本署に連絡して自分で出かけることは一度も無かった。そういう性格の巡査だった。
それなのに午後5時以後全く連絡なしである。連絡無しに他の地区まで出かけるのは引っかかるものがある。九ちゃん刈りの男とは、顔見知りではなかったかという想定もされたが、その線は以後の捜査で全く浮かび上がって来なかった。高原弘吉氏は他の地域に出かけたのを若干不審がられています。
私、個人的には当時の状況は、午後8時に駅前派出所に、山の手、田の湯、的が浜の各派出所勤務巡査は集まって、翌朝まで集中運営制度を実施していた。その前年の夏、熊本県において勤務中の巡査が少年から毒入りジュースを飲まされて殺され、短銃を奪われた事件が発生。少数の人員による勤務が危険視される状況にあったのです。これを考慮すれば、時間的に田の湯派出所の駅前派出所8時出勤の事をかんがえたか、事柄が軽微な事だったのではないかと考えられます。
いま一人の有力な目撃者、それはYという高校の先生。Y先生は別府の市内からハイヤーで自宅への帰途、7時30分頃別府球場前を通りかかった。球場正面入り口から20メートルばかりのところに山の手に向いた黒っぽい乗用車(ブルーバード?)を目撃している。そして百メートルばかり走ったところで後藤巡査らしい制服の警察官が一人の男と歩いて来るのにすれ違ったと証言している。九ちゃん刈りの男どうかはライトの死角にいったので、確認はしていない。後藤巡査が間もなく別府球場付近で絞殺されただろうことは、その後の経過で推測できるのである。いきなり、背後から紐のようなものを首に巻かれての一気の絞殺で、咽喉部が陥没しておそらく声も出ず、即死に近かったと見られている。後藤巡査は小柄、身長154センチメートル、体重48キロ。別府警察署内で二番目に低い身長。万事消極的で動作は緩慢な方だった。細君の間には、4歳の女の子がいた。趣味は映画を観るくらいで、いたって慎ましい生活であった。後藤巡査はあと二年で恩給がつくのだった。恩給がつけば、警察官を辞めて、郷里の三重町に帰って果樹園を経営すると言っていた。その時の準備に、『クルマのええのを世話せんな』と言うのが口癖だった。また、次回。

続き、事件が起こったのは2月11日、紀元節(建国記念日制定前)であり、また別府市にとっては大きな行事の1つ、別府毎日マラソン大会の開催日であった。
当日は競技関係者の乗った県外車がかなり別府の街に入り込んでいた。G巡査は朝8時頃、自宅を出て本署に出勤そしてマラソン大会の警備についた。午後3時頃、警備の任務を終わって、相棒のM巡査とともに受け持ちの山の手派出所勤務についたのが午後4時すぎであった。
M巡査は午後5時頃勤務をさぼって自宅に食事をしに帰った。そして午後8時、駅前派出所に出勤した。
午後8時を過ぎてもG巡査が顔を見せないので、M巡査は山の手派出所に電話をかけた。だが応答は無かった。午後8時30分が過ぎた。M巡査はO巡査と二人で山の手派出所へ行ってみた。派出所の表戸には鍵がかかっておらず電気は消えていた。戸を開けて内に入る。電気をつける。机の上にはG巡査の手袋とシンセイ一個とライターが置いてあり、事件簿が開いたままになっていた。ひょっとしたら病院かもしれないと思った。G巡査は二、三日前から顔色がすぐれなかった。そこで、近くの病院へ電話したり尋ねて行ったりしたがG巡査が訪れた形跡はなかった。
いよいよふ不審に思い、スクーターで亀川上人浜の自宅へ行ってみたが不在でる。時刻は10時近くになっていた。駅前派出所にも一向に連絡がない。なおも、辛抱して待ったが何の音沙汰もない。いよいよただ事ではないとさとり本署へ連絡が取られたのは午後11時50分であった。またの続き。

続き、2月16日、山の手派出所から60キロ離れた四日市の久々ろう(女篇に老)の住人が、血のついたYシャツの切れ端を拾って四日市署に届けた。その後鑑識の結果、事件とは何の関係もない婦人の経血と判明。しかし、そのYシャツの切れ端が幸運にも死体発見のきっかけとなった。血のついたYシャツの届け出で久々ろう一帯が捜索されたのであった。そして、旧小倉造兵廠分工場の防空壕の1つに、G巡査の死体が発見された。発見者のJ巡査はかつて別府署に勤務したことがありG巡査の顔を知っていた。発見したときは酔っぱらいが寝ているかと思ったそうである。防空壕は国道10号線沿いに掘られており、幾つもの穴があり、内部で連絡している。その別府寄りの2つ目の防空壕であった。あたりは雑草が生い茂り、冬でも枯草に覆われて外見では防空壕の所在は分からない。そしてこの戦時中の名残りの防空壕は間もなく爆破されることになっていたのである。
死体は入り口から15メートル奥の左折した地点で石を枕に仰向けに丸首シャツにパンツ、靴下一枚で腕時計を嵌めて寝かせてあった。
防空壕内からは、犯人の手がかりとなるものは、ほとんど発見されなかった。犯人は懐中電灯を一人が照すか、或いは防空壕に向けてヘッドライトを照すかして、一人が死体を引きずって入り、戻りは後ずさりしながら足跡を手で消して出たものと思われる。十個の足跡らしいものが型を取られたが、やや鮮明なのが1つしかない。十文半くらいのカカトのないゴム靴か革靴かという程度である。冷静沈着な犯人である。
犯人は防空壕に土地勘ありと推測される。山の手派出所付近は目撃者は多数いる。犯人が使用したクルマは一応黒塗りのブルーバードということになっているが、福岡ナンバーとも、兵庫ナンバーとも、東京ナンバーの説もある。事件発生10年目の数日で、近畿以西の四管区警察局で異例の広域捜査体制がしかれたが、動員捜査員延べ五万数千人
と取り調べ人数一万六百余名、ウソつき自供5人、調べたクルマ七千四百八七台、目撃者情報二千三百四十件に達している。

Re: タイトルなし

 お礼が遅くなって申し訳ありません。
 すべての情報が出そろうまでと思い、あえてお礼を控えていました。
 大変な労力を払って貴重な情報をいただき、本当に有難うございました。
 現在、いただいたコメントを熟読しながら、私がこれまでに得た情報と突き合わせているところです。
 おっしゃる通り、驚くべき情報ばかりで、事件の構図がおぼろげながら見えてきたような気がします。
 お陰様で、別府巡査殺害事件について大変な情報の蓄積ができました。
 改めましてありがとうございました。

G巡査殺害事件について、長々とコメントしている者です。
コメント17の後に18として死体解剖の不手際、初動捜査の遅れ、大分県警と福岡県警の意見対立、暴力団関係者の供述。『鬼の柴長』の異名で呼ばれた福岡県警の柴田刑事調査官の執念の捜査。退官後も個人的に事件解決に情熱の炎を燃やされた事等を述べて、鬼の柴長は『この事件は絶対に暴力団が関係している。彼等の短銃への執着を考えると短銃は捨てられていない。何処で必ず短銃は火を吹く』鬼の柴長はこう予言した。その予言は8年目に的中した。此処まで書いて送信したのですが、何らかの不具合でそちらに着信しなかったようです。
長々と書きすぎて、失礼だったかなと反省しておりました。
もし良ければ、もう少し僕の駄文にお付き合えれば幸いです❗

何度か事件の経過内容を送信したのですが、私の不手際でそちらに着信しなかったようです。また、こんな長いコメントは迷惑ではと思い止めようと思いましたが、尻切れトンボみたいな感じも嫌だなと思い、またコメント送信します。長くなると上手く送信できないみたいなので、分割して送信します。別に秘密にする内容は今回は含まれていません。
この事件は初動捜査の遅れ、死体解剖の不手際、解剖したのが78才の老開業医で、死後推定時間に食い違いが出て来て、鑑識結果で押していけない点が出てきた。
そして大分県警と福岡県警の意見対立。大分県警は別府の暴力団石井組を疑惑の対象においた。色々調べてみると一概にはそう言えない気がします。
福岡県警は筑豊の暴力団を重視したようです。
大分県警内部でも『どう考えても第三国人だ。終戦直後にあった手口だ。石を枕に寝かせる習慣がある』
『こ殺し方が違う。暴力団ならば短銃か刃物だ。絞殺などしない』
『か革ヒモで一気に息の根をとめるのがアメリカ式の殺し屋の手口』
『共同謀議の臭いがしない。単なるピストル欲しさの不良グループの仕業じゃないかと?』
議論百出で捜査の中心を絞りかねた。というのも動機が明確に察知できないからであった。

犯人はなぜ後藤巡査を殺したのか?、目的は何なのか、ピストル欲しさか、制服制帽欲しさか、それとも警察力を総動員させて他方に空白地帯を出現せしめるための高度の謀略か、または個人的怨恨、あるいは警察一般に対する怨恨、そして挑戦か。
いずれにしても、後藤巡査事件発生にさきだつこと三日前、二月八日福岡市で起こった暴力団抗争事件を無視することは出来ないのである。
山口組連合三百人に対する博多、筑豊、北九州などの地元暴力団で、福岡市内にそれぞれ陣取って決戦寸前に、福岡県警は福岡市内4警察署と県警機動部隊など六百人を動員して、山口組連合の襲撃直前に踏み込んで大量検挙、武器四百点を押収したのであるが、後藤巡査事件はこの背景を抜きにしては考えることは出来ないのである。
この抗争の原因は夜桜銀次こと平尾国人射殺事件である。
銀次が下祇園町の善照寺アパートの302号室に三日前からとまっていた。愛人のホステス白波ユキエ、21才の部屋であった。
1月16日午前11時過ぎ、ユキエが外出から帰ってみると、銀次は死体となって倒れていた。仰天したユキエは110番した。
銀次は右胸、下腹部などに四発をぶちこまれていた。銃弾は連発銃に使う45口径であった。死体の銀次も愛用の拳銃を握っていた。
夜桜銀次の死は博多進出を狙う石井組、そして背後に控える山口組に絶好のチャンスを与えた。石井組と気脈を通じる博多の伊豆組の伊豆健児組長が大島匡和にこの始末はどうしてくれるかとねじ込んだ。大島匡和は顔をひきつらせて怒った。賭場を蹂躙された報復はいずれ必ず、と肚の中にあったが、射殺事件は身に覚えのないの無いことであった。
本当の犯人は銀次の金蔓の炭鉱経営者松岡福利であった。銀次は松岡から金融業者を紹介したお礼とばかり、カネをせびっていた。
たまりかねた松岡はある暴力団に銀次射殺を依頼していた。その暴力団が引き起こした事件だった。
(銀次射殺事件の犯人はその後、道仁会に入り、道仁会と山口組の抗争事件において射殺される事となる。)
『銀次を殺ったのはウチじゃなかぞ。だが売られた喧嘩ならば買ってやる』
大島組は全九州にのヤクザに檄をとばした。筑豊ヤクザは団結して双葉連合をつくり、北九州のS一家も合流した。
そそして長崎、佐賀、熊本からも助っ人が博多に集まって博多防衛軍を結成した。
筑豊炭田に本拠を持つヤクザの長老、大野組の大野留吉が和解工作をした別府けが、交渉決裂となった。
や山川は急ぎ別府に帰ると、神戸から駆けつけていた山口組の山本広と伊豆健児の三人で、くれない丸で神戸へ向かった。この情報はいち早く別府警察署にキャッチされ、大分県警から兵庫県警へ連絡が取られていた。そして、神戸いりした三人には隠密尾行班がついていた。

二月八日、博多駅には二百五十余名の警官が動員された。
下り急行が博多駅につくたびに、ヤクザ達は警官の尋問を受けた。夜桜銀次の葬式が盛大に執り行われるので、そのために来た、と彼等は口々に言った。職務質問とともに身体検査がなされたが凶器の所持者は一人としていなかった。
葬式にやって来たという彼等を取り締まる方法はなかった。
詳細は省略しますが、いくつかの偶然が重なり『凶器準備集合罪で捜査する。抵抗すれば公務執行罪で逮捕する』検挙者150名を越えた。押収した凶器はカービン銃2丁、猟銃9丁、短銃13丁、等々合計400点。
山口組連合の九州進撃は未然に防がれた。
この失敗で苦境にたたされたのが石井組であった。山口組連合は石井組の要請で出撃した形である。それが失敗した。
多数の組員の逮捕、多量の武器が押収され、莫大な費用が水の泡となった。
その失敗の原因の最たるものが、地元の別府警察署に動きを探知され手配されていたとあっては面目を失することこの上なしである。
石井組組長山川一郎は窮地に立たされた。博多事件の直後から姿を眩ました。当局からは凶器準備集合罪の容疑者として全国指名手配となった。

博多事件に関してはもっと簡略な説明でも良かったような気がします。
山川一郎組長の逃亡行為、ここに僕個人は後藤巡査殺害事件の鍵があると思っています。
山川組長の逃亡から逮捕までを少し詳しく書きます。
山川は熊本県に逃れ、長洲港から船にのって迂回して宮崎に上陸した。宮崎警察署からの情報で、山川がタクシーで延岡へ向かったという。午後6時半に延岡市内のキャバレー『新星』のボックスに腰を据えた男をすかさず連行すると、山川のネーム入りののオーバーを着た替え玉だった。
別の情報が入った。山川は延岡市船倉町の旅館川六に泊まっているという。
し19日午前4時頃、30名の武装警官が旅館を包囲した。
山川はにっこりと笑って、御苦労様と挨拶しながら手錠を受けた。
山川は愛人にわざと密告させたのである。拳銃を持っているというので、助けの武装警官が包囲した。これでは、命を狙う者も手が出せまいと、山川は安心して逮捕されたのである。
しかし、僕自身はこれには、納得出来ません。
山川一郎は、かなり前からいつか大分県警が石井組壊滅作戦をやってくると考えていたのではないかと思っています。
その時の対処法の一つとして、警察官殺害という破天荒な、大博打的な事を考えて準備していたのではないかと思います。
標的とする警察官は何人か想定し、おそらく警察官の誘きだしの訓練もやっていたのではないかと思います。
綿密な計画ではなく、だいたいこんな感じでやるという大まかな計画があったのではないかと思います。
警察官の制服制帽が欲しければ、何も別府警察署以外のもっと田舎でも良く、また後藤巡査のような小柄な人ではなく、中肉中背の普通の体格の警察官をターゲットにすべきです。何故ならば、大柄の人のズボンを小柄な人は穿けますが、小柄な人のズボンは普通の人でも穿け難いからです。
別府警察署に対しての見せしめ、大分県警内部の石井組内通者に対しての、裏切りは許さない事を示したのではないか。また、大分県警の警察官は、内心警察官もターゲットにする石井組に恐怖もあったのではないかと思います。こういうことをする石井組であれば、警察と石井組の癒着も暴露しかねないと県警上層部は危惧したのではないか。捜査方針に対して警察内部から
も批判があったようにも聞いています。
大分県警は石井組に対して本当に積極的に捜査したのでしょうか?
ならば、石井組の出入した料亭の井戸からのちに後藤巡査の拳銃の銃弾が発見されるという、なんとお間抜けな事があるでしょうか。
後藤巡査殺害事件当時には、料亭の古井戸が石井組の拳銃の試射に使われているという情報を、もし、大分県警が知らなかったとしたら、捜査能力に疑問を持ちます。
積極的捜査を意図的にしなかったというのが、本当ではないでしょうか。
後藤巡査殺害事件当時に、料亭の古井戸を捜索すれば、事件は簡単に解決したようにおもえてなりません。古井戸を試射に使用しているような事は、噂ではあったはずです。

当時の大分県の社会情勢について一言。昭和34年大分臨海工業地域のため第一期工事がありました。埋め立て、造成、道路等の基盤整備工事です。
石井組は商売上手で建設会社、建設資材の会社等を設立。
おそらく、この工事全般の裏の仕切りをしていたと思います。
莫大な利権がそこにはあったと思います。
大分県の政界、経済界、官庁関係の一部は絡んでいた可能性があるように思います。
昭和37年には新産業都市に大分市は指定され臨海工業地域は発展します。
石井組は大分県の政界、経済界、官庁のこの利権にまつわる秘密を多数握っていたと思います。
こういう背景を考えた時に、警察官殺しもやりかねない暴力団に手をつけたら、どんな報復があるか、県警は積極的な捜査を出来るのか、疑問があります。

訂正、高原弘吉氏の短編の題名は『やがて時効』でした。
その中から事実関係をピックアップして書いています。
記者のスクープ合戦等は省略。
事件から八年目、関西護国団阪神本部長永田民三が射殺された、部内の勢力争いが原因だった。
表面は右翼団体だが実態は覚醒剤の密輸に暴力金融といった暴力団である。
容疑者は副本部長水野義顕、幹部李三雨、磯俣昭男、団員坂本孝一、台良光雄が逮捕された。
射殺に使用された鉛弾中鑑定可能の一発の施条痕が警察庁科学警察研究所の鑑定結果、SWスペシャルナンバー488551、後藤巡査の短銃のライフルマークと一致した。容疑者の一人台良光雄は宇佐市出身でモンタージュ写真とそっくりであった。しかし、取り調べの結果、事件とは結びつかなかった。主犯の水野のはピストル三丁持っていた。32口径一丁、38口径一丁につちては入手先も分かった。しかし、残る38口径一丁が解明できない。銃身の短い38口径である。後藤巡査の短銃より三センチ短い、先の方を切断し、その他改造して整形手術をしたものと考えられた。水野は入手先については口を割らなかった。(僕の聞いている範囲では、入手先について何人かの氏名を挙げたが、既に故人となっていて拳銃の入手先の追跡は不可能だったと聞いています。あの兵庫県警であり、警察官殺しと関係すれば取り調べ、交友関係はかなり厳しく取り調べをしてるはずです。団員坂本は水野の依頼どおりホテルで拳銃を解体し、明石海峡でフェリーボートから海に棄てたと自供している。ホテルの部屋から硝煙反応も出ている。
水野のは345日にわたる拘留期間中に病死した。

続き、短銃からの手がかりははるかに後退したのである。
高原弘吉氏は、突然『私はその後の捜査状況について残念ながら知らない。』高原氏は後藤巡査殺害の犯人像は?僕にとっては理由にもならないような理由を挙げて、犯人の推理を避けておられます。最後に、高原氏が一番印象に残っているもの、それは私自身が意外に感じるごくつまらない事である。昭和37年2月11日午後5時頃、後藤巡査は三軒隣の食堂からおでんを取り寄せた。おかず無しのメシを弁当箱に詰めてきて、食堂のおでんをおかずにして食事するのが慣わしだったのだ。メシどきになるとこの食堂からお皿におでんに一皿30円、おまけのゆで玉子がつくのが慣わしだった。解剖した胃から消化途中のこんにゃくが出た。かまぼこも、ゆで玉子もあった。好物のこんにゃくとおまけの玉子にぼそっとほくそ笑んで弁当のハシを使う後藤巡査の姿が瞼の裏に浮かんでくるのだった。あれから14年余り、今も凄惨な事件に、その姿が妙に私の瞼を離れない。との一文で小説は終わっています。
僕は、この結末に納得出来ないのです。最大の被害者は後藤巡査であり、その奥さんと当時4歳の女の子ではないかと思う時、この結末には納得出来ないのです。僕なりの素人推理、いや僕の妄想妄念で犯人像を確定したいのです。

この事件は夜桜銀次との関係があると思います。
夜桜銀次は石井一郎の意をくんで、自らの意思で鉄砲玉になったのではないかと考えます。
親分、兄貴分から直接言われて行動しては、男の値打ち、価値が下がるというものです。
昭和36年10月、博多に夜桜銀次が現れたときから後藤巡査殺害事件の準備は始まっていたのだはないかと思います。
博多事件で山口組連合が検挙されず、九州のヤクザ連合の拠点を急襲していたら、大分県の石井組は大分県警の殲滅目標になっていたと思います。
大分県警の力を半減させる為に警察官殺害を準備していたとしたら、この事件についての理解はしやすいのではないかと思います。
ナンバープレートを事前に何枚も準備していた。
後藤巡査を誘い出した連中が顔を多数の人に平然と晒していたのは、連中には誘い出しの役目しかなく、また関西等に住居あるいは、外国航路のヤクザ崩れの船員かなにかではないかと思います。
誘い出しは後藤巡査の知り合いの、ヤクザに近い人物の名前を使用して信用させた。後藤巡査の趣味は映画、映画館は時代的にその筋の関係者が経営していました。もし、後藤巡査に顔パス等で優遇していた人物の名前が出れば、後藤巡査としては、後の事を考えた場合はトラブルに仲裁に入り恩を売る事はプラスになると考えたとしたら。
おそらくな何人かの警察官を標的にして準備をしていたのではないかと思います。
あまりの手際の良さ、死体遺棄場所を宇佐市の防空壕にしておいた事。死体発見が経血の付いたシャツによるもの、誰かが意図的に頃合いをみて死体発見を意図的にさせたようにも思われます。その他諸々ありますが、石井組が意図的にやった犯罪、その犯人は。

G巡査殺害事件の黒幕は別府I組のI・I(戸籍名Y・I 母親の再婚の為)、実行犯はA・K(Iの妹婿)。Iは昭和47年札幌医療刑務所にて死亡。Aは平成5年、Iの墓の前にてピストルにて頭部貫通の自殺。やはり、天に天道、地に人道あり。ユーチューブにて2015・6・12、G巡査殺害事件のニュース映像あり。国道10号線にG巡査の墓の映像。G警部補と墓碑銘あり。これにて失礼。

No title

以前はお墓が有りましたが、現在は有りません。
隣に生コン工場が有りましたが、現在は取り壊されています。

youtubeにお墓が有ったころの映像があります。
【未解決事件】別府・後藤巡査殺し事件!~Cop Killer

グーグルマップのリンクです。
https://www.google.co.jp/maps/@33.5388049,131.2987299,20z/data=!3m1!1e3

Re: No title

貴重な情報ありがとうございました。

No title

新聞に黒いブルーバードは福岡県内に20台あり、これを全部しらべたが アリバイが成立する、との記事が出た。そうじゃない、福岡ナンバーじゃない。犯人らしき男たちが飯塚市内を乗り回しのを何度も見たが、京都ナンバーである。ナンバーは用意したもので、これでアシは つかぬだろう。しかし県外のブルーバーではある。犯人らしき と述べたが、まさしく新聞記事の犯人像に ソックリ。つまり、四人とも真っ黒ずくめの服装。
そして真っ黒に日焼けし、髪は短い。皆 屈強である。 ハナシは逸れるが、暴力団員は 働かない連中だから日にも焼けず、屈強でもない。この四人は労働者である。
船員のようなスマートさはない。この四人は 姿も顔も お互いに そっくり。
それと特筆に値する と思われるのは これらの人物の殺気を帯びた目である。 これは ひとを殺したばかりの目である。
犯人は 筑豊の某 暴力団に拳銃を売りに来たが そんな警官殺しの拳銃なんか買わなくても 機関銃でも持っている。それどころか 石井組の襲撃に備えて窓から銃口を道路向けて 元 或る高校の野球部の大先輩だった組長は 孫子の兵法 守るより
攻めよ で、対戦車砲バズーカを車に積んで別府に向かうところを 県境で大分県警のパトカーに捕まった。 四人組は 何度も拳銃を買わせようとして、 飯塚に寝泊まりして1週間 滞在した。 泊まるのは
この組事務所に出入りするチンピラの自宅だった。名前は伏せるが、生きていれば87歳。この家の近所の人は いつも苦労ブルーバードや 怪しい四人組を目撃した。なかには 毎朝挨拶した人もいる。私の妻は 市立保育所で このチンピラの子女を
担任していたし、この家が保育所の近くなので、犯人たちであることを直感していた。 にもかかわらず、理不尽なことが二つある。1は 飯塚署員は なんという不際
か。 いかに福岡県警と大分県警が仲が悪いとはいえ。
2は 市民は なぜ警察に通報しない?
警察は市民と離反した警察一家である。
しかし だらしない仕事ぶりである。バズーカを積んだ車を 福岡県内では捕えていない。官僚は 仕事をしまい、とする。給料だけを貪る。民間人は 食わねばならぬから 極端な例では この四人組のように イノチを賭して商売する。署内で じっとしている連中は 彼らを野放しにする。犯罪は無くならない。