死刑執行1231日の空白


 近藤武数(1989年11月10日、福岡拘置所で死刑執行。62歳没)1953年、強盗殺人事件で無期懲役判決を受け服役。68年6月に仮釈放され、その後、熊本市内で女性と知り合い結婚した。2年後に妻が家出したが、妻の姉夫婦が近藤と離婚させようとしたためだと邪推。熊本県高森町内の義姉宅に侵入し、義姉の夫を刺殺、義姉と子供2人にも重軽傷を負わせた。79年7月、最高裁で死刑判決。

 立川修二郎(1993年3月26日、大阪拘置所で死刑執行。62歳没)1971年1月、姉と共謀しコンクリート片で殴るなどして実母を殺害、交通事故に見せかけて保険金をだまし取った。さらに今度は兄と共謀し、犯行を目撃した妻を口封じのために絞殺した。1981年6月、最高裁で死刑判決。(※立川と同日、別事件の死刑囚ほか2人も執行されている)

 上に2人の死刑囚の名前を挙げた。格別有名な事件の犯人というわけではないが、特筆されるのは近藤武数から立川修二郎までの3年4か月間、死刑執行が完全に止まっていたことだ。日数にして1231日。民主党政権下で1年執行が止まり論議を呼んだが、それどころではない。この空白期間は俗に“死刑モラトリアム”とも呼ばれ、死刑制度に反対する市民団体などの間では「このまま日本でも死刑が廃止されるのではないか」と期待が高まっていたらしい。

 これを打ち砕いた法相が、立川らへの執行命令書にサインした後藤田正晴氏。一方でモラトリアムの間に法相を務めたのは長谷川信、梶山静六、左藤恵(以上、3人は海部内閣)、田原隆(宮沢内閣)の4氏だった。

 モラトリアムが生じた理由については、死刑執行の事実さえ国が一切明らかにしていなかった時代のため正確なところは不明だが、先の4法相のうち、左藤氏だけは執行命令書へのサインを拒んだと明らかにしている。

 残る3人については命令書が手元に届いたか否かを含めわからない。ただ、モラトリアムの時期は、昭和天皇の崩御に伴い皇室の慶弔行事が続いていたことに加え▽1989年7月、島田事件の元死刑囚、赤堀政夫氏に対し再審無罪判決▽同年12月の国連総会で死刑廃止を求める議定書採択――などの事情で、死刑に対して慎重にならざるを得ない状況下にあったのは確かだろう。

 左藤氏は真宗大谷派の僧侶であり、サインを拒否したのは宗教上の理由だったという。法相退任後の1992年3月7日、アムネスティ・インターナショナル日本支部などの呼び掛けで開かれた死刑廃止を訴える集会に「宗教人として人の命の大切なことを人一倍感じている立場からもサインを拒否した」とメッセージを寄せている。

 集会参加者からは恐らく大喝采を浴びたものと思うが、法相としての職責よりも宗教人としての信条を優先したことは果たして政教分離に反しなかったのか。それ以前に宗教人としての立場が大事ならば、そもそも法相を受けるべきではなかったのではないか。政治音痴の私でも強烈な疑問を感じる。

 また、法相在職中は死刑制度に関する議論を呼びかけることも、情報公開を進めることもしなかったのに、退任後に「私は死刑を拒否した」と声高にアピールしたことについても死刑存廃を左藤氏個人の問題に矮小化したように思え、違和感を覚える。その後の死刑廃止運動にとって、このメッセージは本当に追い風になったのだろうか。写真は法務省旧本館。
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