愛宕神社からの眺め



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 福岡市西区の愛宕山(標高約60㍍)山上にある愛宕神社は市内では眺めの良い場所の一つだ。これは江戸時代から同様だったらしく、福岡藩の儒学者・貝原益軒も自ら著した藩内の地誌『筑前國続風土記』の中で「此山上にのぼれば、海陸山川の眺め廣くして勝れたる佳景也」と称賛している。

 現在、眼前に広がる景色は東側が早良区のシーサイドももち、正面が西区のマリナタウンの近代的な街並みだが、これらの埋め立て地が造られる以前、東側は百道の海岸の先に西公園が直接見通せたようだ。一方、正面の眼下には豊浜の戸建て住宅街が今も昔もあるが、1962年まではここに姪浜炭鉱(早良炭鉱)があった。

 私も姪浜炭鉱の存在については昔話で聞いたぐらいで、どんな炭鉱だったのか実態は全く知らなかった。豊浜に本坑、現在の西区小戸付近に第二坑があったというが、現在の街の姿からは到底想像できない。ごくごく小さな炭鉱があったのだろうと勝手に思い込んでいたが、この機会に古写真などを当たってみたところ、思いの外に大規模な炭鉱で驚いた。

 愛宕山の北の麓には田川市の伊田鉱跡地に残るような二本煙突がそびえ、現在、ダイエーマリナタウン店や住宅街がある一帯には様々な採炭施設が建ち並び、石炭輸送のための引込線も走っていた。博多湾に面した場所には巨大なボタ山もあった。たかだか半世紀程前には、現在とは全く別の風景が愛宕神社の下に広がっていたわけで、この頃を記憶されている方はまだ多数存命でいらっしゃることだろう。

 この炭鉱を1914年(大正3年)に開いたのは葉室豊吉という人物で、修猷館が生んだベルリン五輪(1936年)200㍍平泳ぎの金メダリスト・葉室鉄夫の祖父としても知られる。炭鉱の最盛期は戦前で、昭和11年版の『福岡市勧業要覧』によると、この年は2,226人の従業員が働き、年間の出炭量は327,000㌧に上ったという。2,000人超の従業員と言えば、現在なら大工場並みだ。家族を含め約8,000人の人々がこの炭鉱によって生活していたらしい。

 ただ、筑豊、大牟田の2大産炭地を抱えていた福岡県だけに、32万㌧という出炭量はさほど大きな数字ではなく、国内最大規模を誇った三井三池炭鉱は最盛期の1970年、驚くことに年間650万㌧もの出炭量を記録している。福岡県という土地が何によって発展してきたのか、改めて思い知らされる数字だ。

 福岡県どころか、日本の近代化、戦後復興を担った旧産炭地の中には今も疲弊したままの地域も少なくない。姪浜地区のように、旧産炭地の面影の一つさえない土地の方が珍しい存在だろう。


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