空の青さが目にしみる


 私が20歳代の大半を過ごした街では毎日深夜になると、ある演歌が民放で流れていた。数十年がたった今も歌詞をほぼ覚えているが、ジャスラックさんに文句を言われたくないので、歌い出しだけ紹介すると「♪空の青さが目にしみる 緑したたるみんなみの~」。悲恋を主題にしながらも風光明媚な地元を称える曲だった。

 演歌には今も昔もあまり関心はなく、福岡から移り住んだ最初の頃はこの曲が流れ始めると「ウヘー」と思い、チャンネルを変えていた。ところが、驚くことにもう一つの民放でも同じ曲が流れていたのである(この街には民放が2局しかない)。両局ともこの演歌が一日の放送終了の合図だったのだ。テレビぐらいしか楽しみのない生活を送っていた私は嫌でもほぼ毎日聞くことになり、慣れてしまうと、私にとってもこの曲が一日の終わりの合図みたいなものになった。

 歌っていたのは『青葉城恋歌』で有名な歌手に“少し似た名前”の人で、ローカルなタレントなのだろうと気にも留めなかった。それが大失敗だった。歌手の正体は地元大手企業の創業社長で、本名をひらがなにして芸名にしていたのだ。しかも社長名の時は、なぜか名前を音読みにしており、鈍い私は長らく同一人物だと気付かなかった。

 ある日、この社長が関係する企業に仕事で行った際、ここで初めて地元の人とこの演歌が話題になった。相手から「いい歌でしょう」と感想を求められ、危うく軽口で返しそうになった。しかし、私にとっては非常に珍しいことだが、寸前で自制心を働かせた。「地元で相当愛されている歌手のようだ。ここで悪口を言ったらマズい」と思い、当たり障りのない返事をした。今でもこの時のことを思い出すと冷や汗が出る。

 創業社長が“歌手”になった経緯までは知らないが、地元民放2局にとっては恐らく、大スポンサーの歓心を買えるおいしい番組だったのだろう。曲の魅力もあったのだろうが、従業員も得意先も多い地場大手企業の社長が歌っているのだから、当然地元では大ヒットした。

 私がこの土地を離れて後のことになるが、創業社長は驚異的な規模の大リゾート施設を造り上げた。それぐらいのスケールの人だった。冷や汗の理由も理解してもらえるだろう。しかし、このリゾート施設は大失敗に終わり、社長が一代で築き上げた企業グループも経営破綻した。ある意味これが遠因ともなって「どげんかせんといかん」と騒ぐ人物が一時、知事にもなった。

 写真は問題の街で今夏に写したものだが、この土地の青空の真骨頂は冬にこそあると個人的には思っている。日本海側の福岡で長く育ち、冬の曇天を見慣れてきた私にとって、初めて目にした高く澄み渡った冬空はまさに「空の青さが目にしみる」程だった。
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コメント

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空の青さが目にしみる

いつも愛読しています。今回はチョット懐かしい記事だったのでコメントを。 私は福岡生まれの福岡育ちですが、小学校2年から中学校1年まで駄田泉さまが20代を過ごされた町に住んでいました。 当時は民間放送局ラジオ局一局だけでした。 "風雲黒潮丸”をラジオにかじりついて聞いていたことを思い出しました。小6の時 友達と『平和台』へ自転車で遊びに行った際、*RTの看板をみてここから電波が発せられるんだと思いました。 その後もう一局民間放送局が増えたようですが、バブルがはじけた後、町の佇まいは昭和30年代に戻ったように感じました。
無理に『どげんかする』ことなく、民間TV局は2局止まり、民間中波ラジオ局至っては1局だけの街があってもいいのかなあと思います。 

Re: 空の青さが目にしみる

ジイジ様、こんな変なブログに訪問いただき、ありがとうございます。
コメント楽しく読ませていただきました。
私が住んでいた頃、テレ朝系だったか日テレ系だったか、第3のテレビ局を開設する運動が起きたと聞きましたが、うまくいかなかったようです。
地元の人は残念に思っているようですが、今となっては第3局は諦め、テレビ好きの人はCATVで福岡の民放を見ているらしいですね。