埋没鳥居はどこに

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 “埋没鳥居”と言えば、1914年(大正3年)の桜島大噴火で埋まった鹿児島市の黒神埋没鳥居が有名だが、福岡県新宮町の海岸にも同様の鳥居があったという。1940年(昭和15年)刊行の『福岡県史蹟名勝天然紀念物調査報告書』(以下、『報告書』)で存在を知り、新宮町の担当部署に存否を尋ねたところ、「現存している」との答えが返ってきた。そこで勇んで同町に行き、海岸周辺を2時間ほど探し回ってきた。例によって下調べが不十分だったため、徒労に終わったが、町の地理は何とか把握できた。後日を期したい。

 新宮町の埋没鳥居は、現在もある磯崎神社の「浜の鳥居」だったといい、建てられたのは江戸時代中期の明和元年(1764年)と伝えられている。もちろん火山灰で埋まったわけではなく、風で吹き寄せられた海岸の砂が犯人らしい。2枚目の写真は『報告書』から借用したもので、1939年2月の撮影。地上に出ているのは人の背丈の半分程度だったことがわかる。礫岩製で、笠木の幅は約4.7mだったという。

 この写真の左後方に見える島のような地形は磯崎鼻と思える。下から2番目の写真が現在の磯崎鼻の姿だが、海岸に鳥居らしきものは見当たらない。新宮海岸を歩きながら、新宮町の担当部署から返ってきた「現存している」という答えは、私の質問の仕方が悪かったため、ひょっとしたら「(磯崎神社は)現存している」との意味だったのかもしれないと思い悩んだ。黒神埋没鳥居は観光名所として有名なのに、新宮の埋没鳥居に関しては情報が全く公になっていないのも不審な点だ。

 ただ、気になる鳥居もあるにはあった。磯崎神社裏の海岸沿いは現在、水産加工品の工場が建ち並んでいるのだが、この一角にあった鳥居が妙にアンバランスだったのだ。一番下の写真がそれだが、何がアンバランスなのかと言うと、柱はセメント製なのに笠木部分は自然石がむき出しだったのである。古い写真と見比べてみると、笠木部分は埋没鳥居と似通っている気がしないでもない。あるいは埋没鳥居の笠木だけ移したのかも知れないとも考えたが、笠木の形はどれも似ているはずだと思い直した。

 『福岡県史蹟名勝天然紀念物調査報告書』は国立国会図書館の近代デジタルライブラリーで読むことができる。福岡市総合図書館の郷土資料室にも置かれている。

 この話の後日譚「埋没していなかった鳥居」はこちら


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