死刑囚と西都

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 以前、福岡市西区の伊都土地区画整理事業地区内に出来た市の複合施設が“さいとぴあ”と名付けられたことに関し、「宮崎県西都市にあるみたいで、紛らわしい」と書いたことがある。油断していたら今年10月、“さいとぴあ”がある一帯の住所がなんと“福岡市西区西都”に変わっていた。元々は女原(みょうばる)という名前だった所である。区画整理事業などで誕生した街が新しい名前を名乗るのはよくあることだが、それにしても他県の市名を堂々と付けるとは…。

 そう言えば、昔住んでいた宮崎市には松山、高松、広島などという中国・四国地方の都市名を冠した町名があった。それぞれの街から移住してきた人たちが土地を開き、故郷の名前を付けたためだと聞いた。宮崎出身者が西区西都の名前を聞いたら、あるいは「西都出身者が開発した街なのだろうか」と誤解するかもしれない。

 前置きが長くなった。タイトルの西都は宮崎県西都市の方である。現在、福岡拘置所にいる確定死刑囚の中に2人の宮崎出身者がいる。2女性殺害の石川恵子、詐欺共犯者ら殺害の渕上幸春だ。さらに昨年までは独居女性連続強盗殺人の松田康敏元死刑囚(2012年3月29日刑執行)もいた。この3人、不思議なことに全員が西都市で事件を起こしているのである(下記)。

  •  石川恵子 1996年8月、ホテル従業員女性に睡眠薬入り缶コーヒーを飲ませ、眠らせた後に絞殺。現金などを奪った後、西都市の石川実家近くの廃材置き場に遺体を埋める。(他にも1人殺害) 
  •  渕上幸春 1999年3月、詐欺共犯の土木作業員を口封じのため西都市で絞殺し、遺体を車のトランクに入れて車ごと同市内の産廃処分場に埋めた。同年9月には詐欺の事情を知っていた税理士を宮崎市で殺害、遺体は西都市の別の処分場に埋めた。
  •  松田康敏 2000年11月、西都市のスナック女性経営者宅に侵入、経営者を包丁で刺した後、首を絞めて殺害。現金などを奪った。(他にも1人殺害)

 宮崎県西都市は、300基以上の古墳が並ぶ「西都原古墳群」で知られるまちで、1955年に児湯郡内の妻町と上穂北村が合併した際、この古墳群がある台地の名を新町名にしたという。宮崎時代、西都原古墳群や有名なうなぎ店を目当てに何度か行ったことがあるが、別に治安の悪さを感じる土地ではなかった。このまちが事件現場となったのはたまたまなのだろうが、3人のうち、石川、松田の2人は西都市出身であり、産業廃棄物の収集運搬業者だった渕上は契約していた処分場が西都市にあったという。3人に共通して土地勘があったことだけは間違いない。

 人口31,000人強の西都市の人口密度は宮崎県平均のちょうど半分の約71人。これに対し、石川、渕上が暮らしていた宮崎市は周辺の町と合併し市域が大幅に広くなった現在でも625人を数える。例えば、車ごと遺体を埋める行為は宮崎市内だったら人目に付いたかもしれないが、西都市では可能だったのだろう。これが西都市が犯行現場となった理由の一つではないだろうか。

 石川は昨年10月、再審請求を行っていたことが最近になって明らかになった。石川の刑確定は2006年9月で、福岡拘置所にいる19人の確定死刑囚の中では比較的古参の部類に入る。彼女より古い死刑囚と言えば、日弁連の支援を得て再審請求を繰り返している尾田信夫や金川一らをはじめ執行が難しそうな面々ばかりだ。現実に彼女より確定が遅かったものの、再審の手続きが遅れた松田らが先に執行されている。ここでアクションを起こさないと執行は近いと思ったのだろう。

 無期懲役の終身刑化が言われているが、死刑に関しても再審請求中は刑の執行がないという事実が知れ渡り、多くの確定死刑囚が延命のための再審請求を間断なく繰り返し、これまた事実上終身刑化しているように思える。執行されているのは、真に罪を反省して再審請求を行っていない死刑囚か、さもなくば児童殺傷事件の宅間守、土浦通り魔事件の金川真大のような自ら望んだ死刑囚のどちらかだろう。

 死刑廃止論者による終身刑導入論議とは別に、死刑と、社会に戻れる可能性がある無期懲役とでは刑の重さが違い過ぎるとして終身刑を導入すべきという意見が以前あった。無期懲役の仮釈放や死刑執行の現状を見れば、無意味な意見だと思える。
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コメント

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犯人

松田死刑囚は友人の知り合いでした
幼い頃は、普通の子供だったみたいです

Re: 犯人

二つの記事にコメントいただきありがとうございました。
こんな変なブログを読んでいただき、うれしい限りです。