教科書に出ていた細川護熙さん

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 先日、朝の情報番組を見ていたら、都知事選についてのインタビューに答えた振り袖姿の新成人が面白いことを言っていた。「細川さんて、日本史で習ったので歴史上の人物だと思っていた」。細川さんとはもちろん、都知事選への立候補を表明した元首相・細川護煕氏のこと。失礼ながら、小沢一郎氏に担がれた“軽い神輿”の一人としか認識していなかったので、まさか日本史の教科書に登場しているとは思わなかった。

 細川氏に関し、いったい何を学ぶのであろうかと不思議に思い、2010年発行の『詳説日本史』改訂版(山川出版社)をめくってみた。今年の新成人が高校時代、日本史を選択していたら学んだであろう教科書の一つだ。「55年体制の崩壊」と題された章に以下のような記述があった。

 <1993(平成5)年6月に自由民主党は分裂し、7月の衆議院総選挙で自民党は過半数割れの大敗北を喫し、宮沢内閣は退陣して、共産党をのぞく非自民8党派の連立政権が、日本新党の細川護煕を首相として誕生した。
 1955年以来、38年ぶりに政権が交代し、自民党の長期単独政権の弊害、バブル経済の崩壊、総評解散と連合結成という革新勢力内部での変動などが背景となって、55年体制は崩壊した。従来の保守と革新の対立は曖昧になり、不安定な連合政治の時代に突入した。
 「政治改革」をとなえる細川内閣は、1994(平成6)年、衆議院に小選挙区比例代表並立制を導入する選挙制度改革を実現した。>

 “細川護煕”の名前が教科書にあるのは本当だった。分量も「大化の改新」ぐらいはある。長期単独政権の座にあった自民党を追い落とし、選挙制度改革を実現したとの記述を読めば、確かに歴史的な人物のように思えてくる。この教科書を読んできた今年の新成人たちは、細川氏についてとんでもない誤解をしているかもしれない。私などは、佐川急便からの1億円借金問題で追い詰められ、無責任に政権を投げ出した政治家という印象しかないのだが。

 1992年の東京佐川急便事件で、自民党の金丸信氏への5億円闇献金疑惑が持ち上がった際、追及の急先鋒だった野党の一つが細川護熙氏率いる日本新党だった。しかし、1億円問題で自分に火の粉が降りかかった途端、細川氏は「佐川に金は返した。重箱の隅をつつくな」と強弁し、説明責任を果たそうとはしなかった。93年の総選挙では、恥ずかしながら私も日本新党の候補者(後に福岡市長になった人物)に1票を投じた口なので、このダブルスタンダードぶりには非常な幻滅を感じたものだ。

 「20年前の話を蒸し返さなくても」という意見もあるようだが、20年も疑惑を払拭できない人間がのうのうと表舞台に復帰する方がよほど奇っ怪だろう。教科書にも出ている“歴史上の人物”にふさわしい行為とはとても思えない。写真は東京都庁。
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