事業団アパート

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 小学生時代に一時期住んでいた雇用促進住宅の前をたまたま通った。完成から半世紀近くがたつはずだが、耐震補強工事を含む大規模改修が近年に行われたようで、外観は思いのほか古びていなかった。ただ、計5棟あった建物のうち、高台にあった2棟は取り壊され、一帯は立ち入り禁止だった。残る3棟についても廃止が打ち出され、住民には退去通告が出されていたという。景気悪化などを受けて一時的に棚上げ状態になっているが、取り壊しは既定方針らしく、建物外壁には「安心して住み続けられるようにしてください」と訴える垂れ幕が下がっていた。

 この住宅は私が小学生時代、地域住民から「事業団アパート」と呼ばれていた(運営が当時の雇用促進事業団だったため。以下、事業団アパートと表記)。当時は築10年に満たない頃で、間取りは2Kと手狭ながら、水洗トイレやホーロー浴槽を備えた小ぎれいなアパートは子育て世帯でにぎわっていた。世帯数は最大でも240戸だったというが、私と同学年の子供だけでも5、6人はいたのでないだろうか。前後の学年や近隣の子供たちを含めれば、同世代は軽く20人を超え、これが全部遊び友達だった。

 私が暮らしていたのはすでに取り壊された高台の棟だが、かつては敷地の一角に鉄棒、ブランコなどの遊具を備えた公園や広場があり、ここで毎日毎日暗くなるまでエスケンや缶蹴り、三角ベース、ドッジボールなどに興じていた。また、珍しく小遣いを手にした時はアパートの前にあった某ショッピングセンター(名前はしゃれているが、個人商店の集積)で買い食いをするのも楽しみだった。経済的には厳しい生活を送っていたが、あれだけ多数の遊び友達に恵まれていたのだから、幸せな子供時代だったのかもしれない。

 だが、その遊び友達は櫛の歯が欠けるように事業団アパートから次々に離れていった。海辺の街に、ちょうど大規模な市営住宅団地が建設されていた時期で、もっと広い住宅を求めてこの団地に移る世帯が多かったと記憶している。私も親から「次に住む家は海の近くだ」と聞き、楽しみにしていたのだが、入居者の抽選に外れたのか、どういうわけか我が家だけは郡部に移り住むことになり、遊び友達との再会は叶わなかった。

 その事業団アパートは今、入居者の過半数を高齢者世帯が占めるらしい。通りかかったのは小学生の下校時間だったが、アパート内では子供たちの姿を目にしなかった。もっとも、アパートがある地域自体は交通の便の良さなどもあり、今も子育て世帯に人気だと聞く。周囲には真新しいマンションや戸建て住宅などが建ち並び、少子化の時代にかかわらず、私が通っていた小学校は市内有数の大規模校になっているという。

 完成が市内で最も古いとは言え、耐震補強が終わり、高齢者ばかりの住む事業団アパートがなぜ、真っ先に廃止対象に選ばれたか。恐らく、更地にしたら高値で売れる可能性が高いからだろう。廃止予定の雇用促進住宅を買い取り、公営住宅にする自治体もあるようだが、福岡市にその気はないと聞いている。
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