志免町のSL、玖珠町で保存へ

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 福岡県志免町の公園で保存、正確には40年近く野ざらしになってきたSLを大分県玖珠町が譲り受け、今度こそきちんと保存することになったらしい。西日本新聞などが報じていた。志免町は近く解体の方針だっただけに、これに猛反発していた鉄道ファンらは玖珠町の英断を大歓迎しているという。

 このSLは志免町役場近くの中の坪公園に置かれていた9600形(1919年製)で、現役時代は主に佐賀、長崎方面で活躍、原爆投下の時には長崎・大浦機関区に所属していた。廃車となった翌年の1975年、志免町に譲られ、中の坪公園で展示されることになったが、同町で余生を過ごすことになった理由とは「SL用の石炭を産出していた国鉄志免炭鉱が志免町にあった」というものだったらしい。早い話が、縁もゆかりもなかったわけだ。写真でもわかるように、明らかにまったく大事にされてこなかったのは、そのためでもあるだろう。

 ところが、志免町は昨年、中の坪公園改修に伴いSLの保管場所がなくなるため、近くの鉄道記念公園に移設保存し、観光資源にすると言い出した。そのための予算約1300万円を議会に提案したのだが、議会側は「費用が掛かりすぎる」と否決。これに落胆した一部町民がSL保存を求める請願を提出したが、議会側はこれも不採択とし、町側はやむなく解体を決めた、というのが大まかな流れだ。

 最初にSL移転を議会側が拒否し、解体されることになったという話を聞いた時は、またもや近視眼的な議員たちのお陰で貴重な産業遺産が失われるのかと腹立たしく思った。しかし、議会の会議録を読み込むと、必ずしも議員たちの無理解とばかりは言えないようだ。移設保存に反対した議員たちの言い分を勝手にまとめさせてもらえば、「今まで朽ち果てるに任せておきながら、突然、これは町の宝だから保存のために大金を使うと言われても納得いかない。金はもっとほかのことに使え」ということではなかったかと思う。まったく理解できない主張でもない。

 下の写真2枚は、町側がSL移設を予定していた鉄道記念公園で、かつて同町内を走っていた旧国鉄勝田線(1985年廃止)の廃線跡に造られた。これだけ特徴的な公園があるのだから、公園完成時にさっさと移設していれば、SLに対する議会や町民の評価も恐らく変わっていただろうにと思う。玖珠町がSL引き取りを決めたのは、今後、鉄道遺産として整備する旧国鉄豊後森機関庫(玖珠町の公式サイトにリンクを貼っている)に展示するためだというが、志免、玖珠両町にとっても鉄道ファンにとっても、そして何より当のSLにとっても良い話だと思う。これだけ誰もが得する結末など、今の世の中では滅多にない。


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