埋没していなかった鳥居



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 昨年11月に書いた「埋没鳥居はどこに」の後日譚である。「埋没鳥居はどこに」では、福岡県新宮町の海岸に笠木部分を残してほとんどが砂に埋まった鳥居があったことを知り、現地に実物を確かめに行ったが、探し当てられなかったことを書いた。再探索に当たっては準備に万全を期そうと、改めて現存するかどうかを新宮町にメールで尋ねたところ、このほど回答をいただいた。要約すれば、問題の鳥居は間違いなく現存している。ただし、現在は砂に埋まってはいないという衝撃的なものだった。

 新宮町の埋没鳥居とは、新宮浜近くに現在もある磯崎神社の「浜の鳥居」で、私が存在を知ったのは1940年(昭和15年)刊行の『福岡県史蹟名勝天然紀念物調査報告書』によってだった。この中に「福岡縣下の砂丘と新宮濱に於ける鳥居の埋没景」(調査委員・金尾宗平)と題した一文があり、当時の状況が写真とともに紹介されていたのだ。写真を見る限り、鳥居は人の腰ほどの高さで、桜島の大噴火で埋まった有名な黒神埋没鳥居(鹿児島市)にそっくりな状態だった。

 その鳥居は現在、どこにあるのか。実は昨年11月の探索行の際、私も目にしていたのである。水産加工所が並ぶ海岸沿いの一角に鳥居があったことを「埋没鳥居はどこに」の中で取り上げていたが、これこそが埋没鳥居だったのだ。この鳥居を目にした際、柱と笠木が何となくアンバランスに思え、柱を新たに建て、埋没鳥居の笠木を移したのではないかとも想像したのだが、そのものだとは予想外だった。

 新宮町職員の方からいただいた回答によると、昭和30年頃までは間違いなく埋まっていたといい、以前は小学生が腰掛けることも出来たそうだ。ただ、再びくぐれるようになった理由までは把握していないという。(興味深いお話、ありがとうございました)

 「福岡縣下の砂丘と新宮濱に於ける鳥居の埋没景」筆者の金尾宗平氏とは、福岡師範学校の教諭、朝倉高女の第6代校長などを歴任した人物で、教職の傍ら、地理学の研究者として活躍された方だったようだ。カルスト台地として有名な北九州市の平尾台の調査報告などにもその名がある。

 報告書の最後を金尾氏は「宜しく當事者はこれが破壊汚損を取締り、永久に其の自然状態を保護保存するの道を講ずると共に廣く世にこれを顕宣せんことを切望する」と結んでいる。金尾氏の願いは叶わなかったわけだが、地元住民の意識としては奇観を守るよりも、神社を尊び鳥居をきちんとした状態に戻す方を選んだのではないかと想像している。
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コメント

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とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!

Re: タイトルなし

 こんな変なブログを見ていただき、また、過分なお褒めの言葉をいただき、本当にありがとうございました。ほとんど反響のないブログなので、コメントを頂き励みになります。

No title

Google検索にて私の曾祖父(金尾宗平)の名前を発見し、大変面白く読ませていただきました。今彼について少し研究中です。また拝見させていただきます。

Re: No title

りょうすけ様、過分なお褒めの言葉をいただき、ありがとうございました。
ブログで取り上げた人の子孫の方からコメントを頂けるなど、うれしい限りです。
これもインターネットならではでしょうか。