福岡城の武具櫓

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 好天に恵まれた15日午後、福岡城址で武具櫓跡発掘調査の現地説明会が行われた。1916年(大正5年)に黒田家別邸に移築された後、1945年(昭和20年)6月の福岡大空襲で焼失した櫓だ。なぜ、平成の今になって遺構の調査を行っているかというと、この櫓の復元に福岡市が極めて意欲的だからだ。

 福岡城にあった47の櫓の中で、武具櫓は最大の建物だったと言われ、実際に古写真に残る姿は堂々たるものだ。福岡市は現在、福岡城の復元整備構想を策定中だが、実在したかどうかもわからない天守の復元が困難であるため、巨大な武具櫓を「福岡城整備の目玉にしたい」というのが恐らくは高島宗一郎市長本人の意向であるようなのだ。そのために建物の規模、構造等を調べようというのが調査の狙いで、昨年11月から行われている。

 武具櫓跡があるのは城の裏手(搦め手)に当たる南側。建物は、東西に3階建ての櫓を配し、その2棟を2階建ての長大な多聞櫓で結ぶという構造だった。現地説明会によると、発掘調査によって明らかになった規模は長さ63m、幅9m。高さは3階櫓が12.7m、多聞櫓が9mと推定され、石垣の下から仰ぎ見れば「7階建の長大なビルが長さ63mにわたって建っているのと同じ」(現地説明会資料)だという。なるほど雄大な建物であり、市長が復元に前のめりになるのもわからないではない。

 ところで、今回の発掘調査は、過去の福岡市が福岡城に対してどれだけ冷淡だったかということも明らかにしたようだ。1枚目の写真にコンクリートの構造物が写っているが、これは昭和40年代に一帯を公園として整備した際に設置された縁石だ。縁石設置の際、櫓の礎石は移動されたり、廃棄されたりしたらしい。また、周囲には多数の桜が植樹されており、根が遺構を壊し、調査の大きな妨げにもなっているという。行政自らが遺跡の破壊行為を行っていたのも同然である。

 NHK大河ドラマ「軍師官兵衛」の放映に伴い、福岡市の行政サイドは現在、地元では如水公と呼ばれてきた人物を「官兵衛、官兵衛」と呼び捨てにして大騒ぎで、今回の復元整備構想も便乗しての観光地作りという側面が大きいという気がする。しかし、城跡整備は5年、10年単位の年月が掛かる大事業だが、大河ドラマ効果などは恐らくは数年で終わる。果たして福岡市のやる気が続くだろうかと思わないでもない。「まさか」と思われるかもしれないが、福岡城の復元整備構想が持ち上がるのは、実は今回が初めてではない。ちょうど10年前の2004年、先々代市長の時にも同じような構想が一度策定され、そして事実上「なかったことに」なっているのである。だから、新たな構想を策定している。

 下の写真は、黒田家別邸に移築されていた頃の武具櫓で、福岡市の公式サイトから拝借した。福岡城址にあった時に比べ、多聞櫓はかなり縮小されているという。


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