日拝塚古墳盗掘事件

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 福岡県春日市にある日拝塚古墳を撮影してきた。国史跡の前方後円墳で、全長は40㍍程。以前にこのブログで取り上げた老司古墳那珂八幡古墳と同じく、福岡平野を治めた首長の墓だとみられている。この古墳で1929年(昭和4年)、盗掘事件が起きている。初めて知った時は「間抜けな話だ」と思った。古墳というものは概ね盗掘に遭っており、昭和の時代に忍び込んだところで「副葬品など何も残っていなかっただろうに」と勝手に想像したからだ。ところが、事件を少し調べてみて驚いた。金銀製の装飾品をはじめ2,000点以上もの副葬品がこの時まで眠っていたという。古墳は6世紀前半の築造というから、約1,400年間も荒らされていなかったことになる。

 盗掘事件が起きたのは1929年6月7日夜から翌未明にかけてだと言われている。地元の男を含む3人組がひと儲けをたくらみ、あらかじめ掘り当てていた羨道から石室に侵入、副葬品をごっそり盗み出したという。古墳があるのは現在、住宅街のど真ん中だが、当時は農村地帯(古墳の当時の住所は筑紫郡春日村大字下白水官有地原野)。古墳は村人たちの信仰の対象だった。事件が起きた6月は農家にとって麦の刈り入れ、田植えが続く忙しい季節だ。3人組は「この時期なら気付かれにくい」と狙っていたのだろう。

 しかし、大切な場所を荒らされたことに村人たちはすぐに気付き、大騒ぎになった。激怒した村人たちは総出で犯人捜しを行い、3人組は副葬品を売りさばく暇もなく捕らえられた。

 この盗掘事件後、九州帝大の教授だった中山平次郎氏らが古墳の調査を行っており、金製耳飾り、金環、水晶製切子玉、馬具など計2,217点もの副葬品を確認している(『史蹟名勝天然記念物調査報告書 第五輯』福岡県、1930)。

 これらの副葬品はいったん石室に戻されたが、その後、東京に移送された。春日市の奴国の丘歴史資料館に金製耳飾りが展示されているが、これが地元に残された数少ない日拝塚古墳の出土品。大半は東京国立博物館が保管しているという。せっかく地元で出土した古墳時代のお宝なのに春日市民は目にすることもできない。事件当時と違い、現在では福岡にも立派な国立博物館があるのだから、そろそろ地元に戻してもらっても良いと思う。

 盗っ人たちが侵入した石室には現在、扉が取り付けられ常時鍵がかかっている。あらかじめ市教委に連絡すれば、見学可能だという。中山平次郎氏らの上記調査報告によると、「玄室の構造は單室にして本縣の他の玄室に比すれば簡單なる形式に屬し、奥行三米四〇間口二米二四許なる長方形石室」であるらしい。

 日拝塚の名前の由来については、彼岸の時期には東に16㌔程離れた大根地山の山頂から昇る太陽を眺めることができ、「日を拝む塚」として地元民に親しまれてきたためだと現地説明板に書かれていた。現在は史跡というよりも地域の公園といった雰囲気で、墳丘には人が通った跡が幾筋もあった。ずいぶん自由な国史跡だなと思い、私も危うく登ろうとしたが、裏に回ると「古墳に上らないで!」と書かれた立て看板がちゃんとあった。


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