西春町の桜並木通り

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 小学校高学年の頃、福岡市の隣の市に住んでいた。十数分も歩けば、福岡市博多区の雑餉隈(ざっしょのくま)地区。地元の繁華街はやや遠いうえ、さして大きな街でもないため、買い物や遊びに行くのは概ね雑餉隈だった。

 自宅から雑餉隈までの道沿いには、ひねこびた感じの木が多数植えられており、変わった道だなと思っていた。先日、数十年ぶりに雑餉隈界隈に行き、ひねこびた木が立派な桜並木に変じているのを目の当たりにした。しかも、ただの桜並木ではない。並木は巨大な中央分離帯となっており、両側に車道がある。札幌の大通公園のミニチュア版といった感じだ。

 この並木があるのは、正確に言えば、福岡市博多区西春町の県道56号線(下のグーグルマップの緑の帯)で、市のサイトによると、総延長は約600㍍。桜の木の総数はわからなかったが、少なくとも百数十本はあると思われる。毎年花見のシーズンには大変な賑わいを見せ、出店も立ち並ぶという。現在は青葉が茂り、並木は緑のトンネルとなっているが、ここを歩くだけでも春の美しさは十分に想像できる。

 しかし、なぜこのような桜並木が生まれたのだろうか。ネット上には桜の美しさを紹介するブログ等は多数あるが、成り立ちに関する情報は見つからない。地元の人にとっては周知の事実かもしれないが、中央分離帯が公園化された県道など、福岡県内ではあまり見た記憶がない。

 資料を漁る前に、成り立ちについて以下の仮説を立ててみた。
 <1>鉄道の廃線跡をそのまま公園にした。
 <2>川や水路を暗渠にし、緑地化した。
 <3>火災の際に延焼を防ぐための防火帯だった。
 <4>桜並木横の道を交通量増加に伴い拡張した際、並木を保存して新たな車線を反対側に造った。

 ひょろ長い緑地の多くには<1><2>のケースが多いが、いくら調べてみても問題の場所に鉄道や川があったという事実は出てこなかった。ただ、昭和初期の地図を見ると、細いながらもこの時代から道はあり、周辺には現在以上に多数のため池が点在していたことがわかった。道沿いには田畑が広がっていたようだ。

 <3>に関しては、札幌の大通公園や長野県飯田市のリンゴ・桜並木など全国的には類例があり、飯田市の公式サイトにあった並木の写真は、西春町の桜並木によく似ていた。ただし、防火帯が必要だったほど一帯で火災が頻発していたという話は聞いたことがない。また、現在は住宅密集地帯だが、ここまで建物が増えたのは近年のことだろう。従って<4>が最も“くさい”とは思っているのだが、街の移り変わりを確認できる地図など確かな資料が見つかっていないため、残念ながら確定できていない。

【2014年6月20日追記】 福岡市と筑紫郡那珂町の合併30周年を記念して発行された『那珂南百年史』(1985)に、西春町の桜並木は「県に申し出て認可を受け、地元民に寄附を募って昭和三十二年に植樹したものである」と書かれていた。

 並木の成り立ちについてこれ以上の詳しい記述はないが、一帯の歴史を調べてみると、この付近から春日原に至る広大な区域で1941年から56年にかけ、県によって大掛かりな土地区画整理事業が行われていた。並木が整備されたのは、事業完成の翌年に当たることになる。

 並木の歴史は思いの外、古いものだった。あるいは土地区画整理事業の中で、県道56号線はシンボルロードなどとして現在の形に整備されたのだろうか。だとしたら、四つの仮説はすべて不正解ということになる。

 【2016年3月31日追記】 土地区画整理事業が完成した1956年撮影の航空写真で、県道56号線はこの当時から、2本の道路の間に空地がある構造だったことが確認できた。やはり区画整理事業の際に札幌・大通公園のような姿に整備されていたようだ。この空地に翌57年、地元住民が桜を植樹し、現在の桜並木ができあがったことになる。

 桜の咲いている時期の写真はこちらに。


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