白川郷と飛騨トンネル

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 台風11号が四国、近畿地方を縦断した10日、強い風雨にさらされながら岐阜県の白川郷にいた。以前から合掌造りの民家が連なる景観にひかれるものはあったが、“高山から車で3時間”という古い知識が災いし、九州人には簡単に行けない秘境だと思い込んでいた。ところが、2008年7月に東海北陸自動車道が全線開通して以来、アクセスは劇的に改善したという。高山から1時間足らず、名古屋からでも3時間程で行けると聞き、この夏は世界遺産の里を訪ねる旅を計画した。

 出発日の9日、台風接近が気にはなったが、今さら予定は変えられない。初日は高山に宿を取り、2日目、風雨が次第に強まる中を白川郷へ。高山から白川郷への道のりは飛騨トンネル(長さ10.7㌔)をはじめトンネルの連続。普段はこんな道は嫌いなのだが、この日ばかりは雨風を避けることができ、長大なトンネルに感謝した。飛騨トンネルのあまりの長さに興味を持ち、帰宅後に調べてみると、掘削工事は大量の湧水や軟弱な岩盤に阻まれ、日本の土木史に残る難工事だったとか。1997年7月の掘削開始から開通まで実に11年を要し、工事費も当初予定の600億円を大幅に上回る1000億円に上ったという。

 トンネルは片側1車線の対面通行のため、大型連休期間中などは白川郷や、同じく合掌造りで有名な富山県・五箇山へと向かう車で大渋滞し、トンネル内で事故が起きれば、大惨事につながりかねないと心配されているという。しかし、飛騨トンネル完成までに費やされた歳月と費用を思えば、もう1本トンネルを通して片側2車線化するのは相当困難な話だと思える。

 ところで、肝心の白川郷。無事にたどり着くことはでき、しばらく現地で台風11号が過ぎ去り、天候が回復するのを待ったが、台風の歩みは遅く、むしろ風雨は強まるばかり。ついには散策など到底不可能な天候となり、早々と退散せざるを得なかった。雨に煙る集落を何枚か写真に収めるのが精いっぱいだった。

 この白川郷の景観、観光パンフレットなどでは“日本の原風景”と紹介されていることが多く、私も無批判に受け入れてきた。しかし、旅行後に読んだ一文によると、白川郷が日本の原風景などと表現され出したのは比較的近年のことで、1935年(昭和10年)に白川郷を訪ね、合掌造りの素晴らしさを世界に広めたドイツの建築学者ブルーノ・タウトはその景観をスイス的と表現し、柳田國男も「西洋風」と評したという(神田孝治・和歌山大学観光学部教授『白川郷へのアニメ聖地巡礼と現地の反応―場所イメージおよび観光客をめぐる文化政治―』)。

 柳田國男が白川郷について言及したのは、紀行文『秋風帖』だと思われ、この中で確かに柳田は<里の家は皆草葺の切端なり。傾斜急にして前より見れば家の高さの八〇%は屋根なり。横より見れば四階にて、第三階にて蚕を養ふ。屋敷を節約し兼ねて風雪の害を避けんために、かヽる西洋風の建築となりしなるべし>と記している。国内各所を巡った柳田にとっても見慣れない風景だったということだろう。言われてみれば、白川郷の景観は国内では他にない極めて特異なものだとは思うが、“日本の原風景”論にすっかり毒されてしまった目には、もはや西洋的とは見えない。
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