福岡城下町の発掘調査


 福岡市中央区の赤坂門交差点近くで、昨年暮れから発掘調査が行われている。JR九州のマンション建設予定地で、つい最近まで時間貸しの駐車場だった場所だ。現場前の貼り紙には「この遺跡には、江戸時代に城下町があった場所であり、この調査は当地域の貴重な歴史を解明し、文化財保護をはかる上で必要なものであります」と書かれている。調査は春頃までの予定らしい。

 いったいどんな遺構が出てきたのか、この説明だけではさっぱりわからない。そこで、この場所の歴史を調べてみたのだが、結論から言えば、例によって中途半端な結果に終わった。ただ、この過程で前々から私にとって“謎の存在”だった近くの別の場所の来歴がわかった。

 最初に発掘調査が行われている場所についてだが、こちらは『古地図の中の福岡・博多―1800年頃の町並み』(宮崎克則・福岡アーカイブ研究会、海鳥社、2005)などで確かめると、江戸時代は福岡藩の重臣たちが屋敷を構えていた一角だ。同書によると、このうち中老だった斎藤蔵人の屋敷は文化12年(1815年)に火災で焼失し、跡地には藩の農政を一元的に担った郡役所が建てられたとある。発掘箇所は、この郡役所があった場所ではないかと思えるのだが、私が地図を読み誤っている可能性はある。

 この場所の明治以降の来歴を、さらにウェブ上の古地図でたどってみたが、1873年(明治6年)に大明小学校(後に大名小学校と改称)が建てられ、小学校移転後は武徳会の演武場があったようだ。Wikipediaによると、武徳会とは戦前、武道を統制した政府の外郭団体だったという。

 最近は前述したように駐車場として利用され、私はそれ以前の記憶がないが、1960~80年代の住宅地図を見ると、この時代は大林組の福岡支店が置かれていた。ただ、ちょうど発掘が行われているスペースには建物が描かれておらず、当時から駐車場として利用されていたのではないかと思える。だから遺構が残り、今頃になって発掘調査が行われているのではないだろうか。

 続いて“謎の存在”だった場所。個人宅なので詳しい場所の説明や写真掲載は控えるが、オフィス街のど真ん中にある民家で、広い敷地は鬱蒼とした木々に覆われている。いったいどんな場所なのだろうと疑問に思っていたのだが、発掘箇所の歴史を調べるためにめくった『大名界隈誌』(柳猛直・財部一雄、海鳥社、1989)に詳しく紹介されていた。

 ここに明治から昭和初年にかけてあったのは、九州帝国大学医学部耳鼻咽喉科の教授だった久保猪之吉の屋敷。赤煉瓦の塀に囲まれた大邸宅は当時、福岡で最も華やかな文化サロンで、NHK朝ドラで再び脚光を浴びている柳原白蓮も福岡滞在時は度々訪れていた。久保夫人と白蓮は当時の福岡社交界の華だったという。定年退官した久保が東京に移住後、屋敷は耳鼻咽喉科の後輩で、久保と同様に医者としても文人としても名高かった曽田公孫樹が買い取った。戦後には旅館となり、近くのキャバレー出演者らの定宿として繁盛したらしい。

 現在では何の変哲もない地方都市のオフィス街に過ぎない場所だが、その歴史は思いの外に面白いものだった。発掘調査の詳細についてわかれば、また取り上げたい。
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