「よど号」事件のバカな思い出


 45年前のあの時、親に逆らっても見に行けば良かったと時々悔やむことがある。1970年3月に起きた「よど号」ハイジャック事件だ。当時、事件の主舞台の一つとなった福岡空港(当時は板付空港)近くに住んでおり、小学生だった私は米軍機を見に自転車でよく通っていた。その板付で大事件が起きたとテレビで大騒ぎなのである。中身はよく理解できなかったが、とにかく大事件ならば野次馬は行かねばならない。そう親に告げて板付に向かおうとしたところ、「このバカちんが!」とひどく怒鳴られ、断念させられた。

 私が向かおうとしたのは米軍機見学の定位置だった空港西側のフェンスだが、考えてみれば、あの事件の最中に小学生が近づけたかどうか怪しい。仮にたどり着くことができても、何一つ目撃することできなかっただろうと理解はしているが、日本最初のハイジャック事件の現場に立ち会う(?)チャンスを逃したかと思うと、やはり残念である。

 それにしても板付絡みの大事故や事件があの頃はよく起きていた。このブログでも取り上げたことがあるが、1968年6月に米軍板付基地所属のファントムが九大構内に墜落(
「ファントム引き降ろしの真相は?」)、69年4月には米軍偵察機が離陸に失敗し炎上した(「板付基地で米軍機炎上」)。そして70年に「よど号」事件。今思い返しても当時の福岡は騒然としていた。

 その「よど号」ハイジャック犯らのグループが昨年10月から「何でもアリ!?よど号のyobo-yodo」というアカウントでツイッターを始め、激烈な批判が殺到しているという報道があったので、のぞいてきた。確かに「今更どの面下げて戻ってくるのか?多くの人に迷惑掛けて好き放題したくせに。二度と戻ってくるな」といった厳しいコメントが並んではいたが、コメント自体がそれほどの数ではない。開設から3ヶ月で4,200を超えるフォロワーを集めてはいるが、朝日新聞などで大扱いされた割に注目度は低い様子だ。多くの国民は今さら「よど号」グループなどに興味はないのだろう。

 ツイートは電子メールで日本国内の支援者に送り、支援者が月1回更新するという仕組みらしい。下に一部を紹介したが、最初は小西隆裕のツイート。彼は1944年7月生まれらしいから、現在70歳。二番目は、グループのリーダーだった田宮高麿(1995年に病死と伝えられている)の妻、森順子のもの。脳天気なツイートだが、衛星放送が見られて、鍋も囲めるという暮らしぶりは見て取れる。「よど号」グループが監視下にあるとは言え、物質的に恵まれた生活を送っていることは度々報道されてきたが、それは現在も変わらないようだ。

 彼らがわざわざ日本国内に向けてツイッターを始めたのは、老境に入って望郷の念が募る中、日本国内での支援者・理解者を増やしたいという狙いがあるらしい。森のツイートにある元旦に死んだ仲間とは田中義三のことだろう。日本に送還後、懲役12年の判決を受けた田中は、熊本刑務所収監中に癌が見つかり、2007年1月1日死亡した。息を引き取った場所は病院だったが、事実上の獄死。日本には帰りたいが、かと言って田中のように刑務所で一生を終えたくない――という彼らの本音が透けて見える。それにしても彼らにツイッターを許した北朝鮮側には何か思惑があるのだろうか。






関連記事
スポンサーサイト
[Edit]