「青陵の泉」像の行く末

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 福岡市中央区の九州大六本松キャンパス(旧教養部)跡地でいま、木下大サーカスの公演が行われている。6.5㌶の跡地のうち、国道202号線に面した北側の2.1㌶は昨年、JR九州がUR都市機構から取得した。買収額は117億円にも上り、福岡ではちょっとした話題となったが、JR九州は2017年度中の完成を目指し、ここに2棟の複合ビルを建設する計画だという。その割にはサーカス会場に貸し出され、ずいぶんのんきな開発だなと思ったが、着工までの間の土地有効活用なのだろう。

 跡地に新たに誕生する街は「青陵の街・六本松」と名付けられており、南側街区には裁判所など司法機関の移転が計画されている。北側街区にJR九州が建設する2棟の複合ビルの概要については、まだ正式発表はないようだが、1棟には福岡市の青少年科学館と九州大の法科大学院が入居することが事前に決まっている。福岡市の公表資料によると、この建物には他に有料老人ホームや商業施設の入居が計画されているようだ。

 「青陵の街」という名前は、教養部の前身・旧制福岡高校の同窓会「青陵会」にちなむ。六本松キャンパスにはかつて、同会によって建立された「青陵の泉」、または「青春乱舞」という名のブロンズ像があった。キャンパス解体の際に撤去され、その行く末が気になっていたのでURにメールで尋ねたところ、像は敷地外で保管しており、JRが開発する側の街区に設置される予定との回答をもらった。「青陵の街」を名乗るぐらいだから、粗末に扱われることはないだろうとは想像していたが、あるいはこの像が新たな街のシンボルとなるのだろうか。旧制福高と九州大六本松を記憶する数少ないモニュメントにもなるだろう。

 像の制作者についてこの機会に調べたところ、福岡県美術界の重鎮だった安永良徳(1902~70)という方で、生まれは横浜だが、もともとは福岡藩士の家柄。中学修猷館を経て東京美術学校で学び、中央で活躍していた彫刻家だが、戦後は地方の美術振興のために敢えて福岡にとどまり、数多くの作品を残したという。西公園にある幕末の志士、平野国臣像もその一つ。1968年に完成した「青陵の泉」像は、旧制高校生が手ぬぐいを手に応援歌を歌いながら乱舞する姿を表現したもので、最晩年の遺作に当たる。(参考:『青春群像 さようなら六本松 一九二一福高――九大二〇〇九』九州大学さようなら六本松誌編集委員会編、花書院、2009)

 「青陵の泉」像の写真は、キャンパス解体前の2010年4月に撮影。相当ピントが甘い写真だが、手持ちはこれしかなかった。二度と戻らない風景はきちんと記録しておくべきだった。
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