新川緑地帯にあった石碑

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 先日、大野城市の「新川緑地帯」を歩いた際(「庚寅銘大刀」)、よくわからない石碑があったので写真に収めてきた。「春日原 停留所 運動場 道」と彫られている。

 帰宅してネット検索をしたところ、緑地帯の地元・下筒井公民館のサイトに石碑に関する詳しい説明があった。1924年(大正13年)4月に九州鉄道が開通し、春日原停留所(現在の西鉄春日原駅)が設置されるとともに、駅前には野球場・陸上競技場などが造られた。当時、この付近から駅に行くには雑木林を抜ける以外になく、このため草壁幸市という人が道路敷地と工事費を寄贈し、駅や野球場などに至る村道が建設された。これを記念して同年5月にこの石碑が建立されたという。

 野球場とは現在の春日公園球場のことではなく、西鉄ライオンズの練習場として使われ、1953年までは時折公式戦も行われていたという春日原野球場だ。所在地は春日市。現在、跡地は住宅地となっている。私の知る限り、球場の痕跡は何も残っていないが、そこから数百㍍離れた隣の大野城市に球場の存在を記憶する石碑があるとは面白い。

 春日原駅に通じるこの道は現在もあり、すぐ西側を走る県道112号線(福岡日田線)を越えれば、道の両側には商店街が広がっている。「庚寅銘大刀」の中でも書いたが、私は小学生時代、近辺に住んでいたことがあり、頻繁に通っていた道だ。当時の風景もおぼろげながら覚えているのだが、石碑については全く記憶がない。小学生が関心を持つような代物ではないのだろうが。

 石碑の西隣は現在、駐車場になっているが、私が住んでいた頃は木造2階建ての美容室があり、この向かいには酒店(同じ店かどうかはわからないが現在も酒店がある)や大衆食堂などが並んでいた。春日原駅から歩いてくると、ちょうどこの辺りで商店街は完全に途切れ、この先は住宅街だったように思う。

 その住宅街の中に、数十世帯が入居する巨大な木造アパートがあり、一帯の名物的存在だったことを強烈に覚えている。確か名前は「さくら荘」だっただろうか。今思えば、香港の九龍城を思わせるような雰囲気を漂わせていた(九龍城はテレビで見たことがある程度だが)。新川緑地帯を歩いた際、もしやこのアパートも残っていないかと思い、少し足を延ばしてみたが、さすがに跡形なく、跡地には戸建て住宅が並んでいた。この街も私が住んでいた頃とは様変わりし、あか抜けた雰囲気になった。
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