30年後の発掘調査報告書

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 福岡城本丸の北東隅に祈念櫓というちっぽけな櫓が建っている。1918年(大正7年)に崇福寺(福岡藩主黒田家の菩提寺)に払い下げられ、一時は末寺の大正寺(北九州市八幡東区)で観音堂として使われていた。現在ある建物は1983年(昭和58年)に福岡市が買い戻し、本来あった場所に移築復元したものだ。この際に発掘調査が行われ、礎石と建物の主柱との位置が一致せず、大正寺観音堂として使われていた際に大きく改変されたことが確かめられた。東西の長さは半分程度に縮小されており、本来はもっと大きな建物だったという。

 その発掘調査の報告書が、なぜか調査から30年以上が経った昨年になって福岡市教委から刊行された。この種の報告書は普通、調査完了からあまり間をおかずに出されるものだと思うが、当の報告書には大幅に遅れた理由について「予算化されなかったことが大きな理由ではあるが、福岡市の文化財保護行政において近世遺跡に対する認識や評価が低いことも一因している」と記されている。要するに市教委内部では「刊行の必要なし」と認識されていたということだろう。そうでなければ、30年間も放置されていたはずがない。

 むしろ30年間刊行されなかったことよりも、今になって突如として刊行された事情の方が気になる。刊行が遅れた理由の裏返しで「予算が付き、近世遺跡に対する認識や評価が高くなった」ということなのだろうが、これは多分「国史跡福岡城跡整備基本計画」の策定が関係しているのではないかと思われる。この計画とは、福岡城に現存する建物を改修しながら、古写真や記録等が残る櫓、門などを今年度から15年がかりで復元していこうというものだ。昨年6月に策定された。この祈念櫓についても中期計画(2019~28年度)の中で「本来の姿への復元を修復整備と併せて検討する」となっている。

 祈念櫓を本来の姿に戻すには、改めて発掘調査を行う必要があるはずだ。その前提として移築復元の際に行われた発掘調査の報告書刊行が、例え30年後であっても必須と考えられたのではないだろうか。この時の調査は移築復元を優先するあまり、かなり不十分な形で終わったらしく、報告書も「祈念櫓跡或は祈念櫓構造の実態に迫る調査が行われたとは言い難く、今にして忸怩たる想いである。すなわち祈念櫓の規模・構造及び櫓台の状況を考古学的・建築学的に調査することを目的としたものでは無く、第一義的には北九州所在の大正寺観音堂を移築復元するための方策のひとつに過ぎなかった」と明らかにしている。

 「国史跡福岡城跡整備基本計画」策定の目的は「『国史跡福岡城跡』を適切に保存し、確実に次世代にその歴史的価値を継承することにより、本市の歴史・文化・まちづくりに資する」ためだという。個人的には観光地づくりの側面が大きいのではないかと思うが、すでに完了した上之橋御門跡の石垣修復工事に続き、現在では旧母里太兵衛屋敷長屋門の修復工事が始まっている(下写真)。母里太兵衛とは、黒田如水に仕えた精鋭「黒田二十四騎」の一人で、福島正則から名槍「日本号」を呑み取ったエピソードで有名だ。大河ドラマ『軍師官兵衛』では速水もこみちさんが演じていた。

 話は少し脱線するが、その『軍師官兵衛』で、黒田家に滅ぼされた宇都宮鎮房を演じた村田雄浩さんが昨年暮れ、宇都宮氏の故地・福岡県築上町に招かれトークショーを行ったところ、「殿、帰る」と大歓迎されたという。宇都宮鎮房という悲劇の武将に日が当たったのは良いことだった。


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