大分替え玉保険金殺人


 このブログを始めたのは2009年暮れだったので、まる5年が過ぎた。内容はと言えば、福岡のローカル情報を独断と偏見で紹介しているだけなので、普段の訪問者数はささやかなものだ。ただ、年に1、2度、目を疑うようなPVを記録することがある。おおむね九州の古い凶悪犯罪がテレビ番組で取り上げられ、たまたまこのブログに該当事件に関する記事があったケースだ。過去には「佐賀替え玉保険金殺人」「布団詰め死体駅送事件」「1979年、浜田武重がいた場所」などのPVが突如として跳ね上がったことがあった。

 昨日3月18日夜も「佐賀替え玉保険金殺人」へのアクセスがずいぶん多いなと思っていたら、またもこの事件を題材にした番組が放送されていた。記事の中でも書いているが、あの『火曜サスペンス劇場』の原作ともなったぐらいの事件なので、ドラマ性があるのは間違いない。

 現在、福岡拘置所(写真)にいる確定死刑囚の中にも替え玉保険金殺人犯がいる。尾崎正芳(40)、原正志(57)の2人組だ。年は若いが、尾崎の方がむしろ主犯格。二人は2002年の犯行当時、ある女性と養子縁組して義兄弟となっており、両者とも竹本姓を名乗っていた。原と養子縁組していた別の竹本姓の人物も事件に関わっており、当時の新聞を読むと、竹本が3人も出てきて紛らわしくて仕方がない。それを避けるため、この記事では現姓の尾崎、原で統一する。

 犯行前、尾崎は北九州市でスナックを経営し、原はその手伝いをしていた。経営は火の車。資金繰りに困った尾崎は替え玉保険金殺人を思い付き、原に計5,400万円の保険金をかけ、身代わりとなる人物の物色を始めた。最初は原と年齢・背格好が似た男性をターゲットにしたが、彼には怪しまれて逃げられ、犠牲となったのは北九州市で暮らしていたホームレスの男性(62)だった。

 2002年1月31日夜、原が「良い仕事があるから」と連れ出し、睡眠薬を飲ませた後、大分県安心院町(現・宇佐市)の川で水死させた。その後、「知り合いが川に落ちた」と自ら119番通報し、被害者の身元を聞かれると自分の名前を伝えた。偽装工作のため、あらかじめ自分の財布を被害者の服に入れていたという。

 しかし、当時の原は44歳。被害者の男性とは年齢が大きく離れていただけでなく、背格好も違っていたらしい。無理を承知の犯行だったのだろう。また、現場の川岸には男性が転落した形跡さえなかった。大分の山間部を犯行現場に選んだのは、あるいは「田舎の警察ならば、だませる」と甘く見たのではないかと思うが、数々の不審点を突く宇佐署の取り調べに、犯行翌日の2月1日には原があっさり自供した。彼の自供に基づき、アリバイ作りのため直接手は下さなかった尾崎も間もなく逮捕された。

 これ以前の1月8日、北九州市八幡東区の民家で男性が殺害され、放火される事件が起きていた。以前にリフォーム会社に関わっていた2人が、工事代金を巡り被害者の男性とトラブルになっていたことが取り調べの中で判明した。身柄を福岡に移された彼らはこの事件についても追及を受け、原がついに「尾崎に命じられ、刃物で男性を殺害し、通帳を奪った後に放火した」と自白し、連続殺人だったことが明るみに出た。

 両事件とも実行犯は原だが、計画を練り、犯行を指示したのは尾崎。法廷で、原は「尾崎に暴力で脅され、無理やりやらされた」と訴え、一方の尾崎は「八幡東の事件では通帳を奪えと指示しただけで、殺人や放火は原が勝手にやった」と反論した。共犯者に責任をなすりつけることができれば、自分の死刑は回避できると目論んだようだ。それ以前に、犯行段階からこの二人は「命令したのは尾崎」「実際に手を下したのは原」という理屈で、自分の罪は減じられると本当に思い込んでいた気がする。

 しかし、福岡地裁小倉支部は2005年5月16日、二人に求刑通り死刑判決を下した。同日の西日本新聞夕刊によると、裁判長は「わずか三週間のうちに強盗放火殺人、保険金殺人を実行しており、残虐非道で酌量の余地は皆無」と断罪。尾崎に対しては「事件を首謀し、罪責は極めて重い」、原については従属的な立場だったと認めながらも、「自己の利益のために他人の命を奪うことをいとわず、残忍」と、それぞれ厳しく指弾したという。

 最高裁まで争ったが、死刑判決は覆らず、2010年に刑が確定した。二人は1審判決後に養子縁組を解消している。死刑確定前に支援者らと養子縁組をし、改姓する者は少なくないが、珍しいことに彼らは逆のケースだ。
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