東京スカイツリーを見た

旧聞に属する話2010-雷門

旧聞に属する話2010-スカイツリー2

 浅草を観光していたら、建設中の東京スカイツリーが目前にそびえていた。「オオッ!」と驚き、思わず下手な写真を撮ってきた。東京の人からすれば、隣の押上に建っているのだから、「浅草から見えて当り前」だろうが、地方の人間はそのあたりの位置関係に疎い。

 それにしても、東京の街は行く度に変貌している。地方では道路一本、鉄道一本通すのにも大変な時間がかかる。子供の頃に構想された道路が大人になって完成したというのも地方ではあり得る話だが、東京では易々と出来上がっているような気がする。私が首都圏に住んでいた時代、計画段階か建設が始まったばかりだった鉄道新線(都営大江戸線、副都心線、つくばエクスプレスなど)は遥か以前に開業し、羽田の再拡張もあっという間に進んだ。このあたりのダイナミックさは、到底地方では考えられない。

 宮崎の知人にずいぶん昔、こんな話を聞いた。昭和の終わり頃、ジャイアント馬場さんが興行で久々に宮崎を訪れ、市長にあいさつに行った。昭和30年代、巨人の選手として何度か宮崎キャンプに来ていた馬場さんは、懐かしさのあまりか「この街は変わりませんね」と市長に語りかけたという。この言葉に市長はどういう訳か憤然となり、「ここが変わった、あそこも変わった」とむきになって反論してきた。思わぬ反応に、馬場さんはただただ苦笑するばかりだったという。

 馬場さんは間違いなく賞賛の意味で「変わりませんね」と口にしたのだろうが、基盤整備に力を注いでいた市長は、自身の努力を否定されたように思え、ほめ言葉と受け取れなかったのだろう。これは市長の狭量というより、東京に住む人(馬場さんは新潟の生まれだが)と地方人との街の変貌に対する感覚の差に違いない。

 バブル崩壊後の不況の時期、我が福岡市は博多湾の人工島建設など活発に公共事業を展開し、地元政財界は「福岡は日本一の元気都市」と誇っていた。市民も誇大宣伝に乗せられていた節がある。いくら不況下とは言え、東京のダイナミズムとは比べるべくもないのに。今となっては恥ずかしい過去と言う以外にない。博多湾人工島は、今も福岡市政のお荷物となっている。
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