閑散としていた熊本城宇土櫓

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 4月5日の日曜、熊本城に5年ぶりに行ってきた。年間約150万人が訪れるという有数の観光地だけに、この日も大天守は多数の観光客でごった返し、中国からの団体客と思われる一団も目立った。しかし、不思議なことに約400年前の築城当時から残る宇土櫓(国重要文化財、写真1、4、5枚目)はガラガラだった。1960年に復元された大天守の威容は「日本三名城」にふさわしく、最上階からの眺めも抜群だが、意地悪い表現をすれば、コンクリート製の和風展望台だ。“本物”の宇土櫓の閑散とした様子を見て、賛同はできないものの、福岡城に模擬天守を造りたがる人たちの気持ちが少しだけ理解できた。

 宇土櫓は三層五階建てで、高さは約19㍍。長大な廊下(武者走り、写真2枚目)を抜けると、梯子を立てかけたような急な階段があり、こちらも最上階まで上ることができる。眺望は大天守には及ばないが、ここから望む大小天守はまた圧巻だ(写真3枚目)。ただし、慶長年間に築かれた正真正銘の城なのだから、バリアフリーにはほど遠く、乳幼児を連れた人や高齢者が見学するのは厳しいだろうと思う。見学者が少ない理由の一端はこの当たりにあるのかもしれない。

 名称の由来については、関ヶ原の戦いで滅んだ小西行長の居城だった宇土城天守を移築したためという説が以前は流布していた。私もそう聞いていたが、現地説明板や熊本城公式ホームページによると、1989年に行われた解体修理の際に移築の痕跡は見つからず、完全に否定された。代わって現在では、小西行長の遺臣を加藤清正が召し抱え、彼らにこの櫓の管理を任せたため、という説が有力であるという。

 熊本城では1998年度から、加藤清正築城当時の姿に復元することを目的に大掛かりな整備事業が進められている。すでに本丸御殿大広間や飯田丸五階櫓など六つの建造物が完成。現在も2017年度の完成を目指し、さらに複数の櫓や塀復元の真っ最中だ。2006年度までは年間100万人に満たなかった城の入場者だが、復元整備や築城400年祭のイベント、九州新幹線の開通なども相まって急増、2008年度は過去最高の200万人を記録し、現在も150万人台で高止まりしている。私の住む福岡市が福岡城整備を急ごうとしているのは、熊本城の観光面での大成功に刺激を受けてのことだろう。

 一方で、この熊本城整備は文化庁から「史跡保護の視点に欠ける」と厳しい指摘を受け、地元の専門家からも「観光振興ばかりに力を入れ、まるでテーマパークだ」「復元と言うより史跡破壊に等しいケースもある」などと批判を浴びた経緯がある。文化庁のだめ出しを受けるまで、熊本市の城整備の担当部署には考古学や歴史に詳しい職員さえいなかったという。

 福岡市の場合、福岡城整備を担当するのは経済観光文化局の文化財部大規模史跡整備推進課。文化財部門はもともと市教委内にあったが、観光に力点を置く高島市長の意向で組織替えとなった。観光部局の中にある文化財部門とは胡散臭さを感じるが、職員は専門家がそろっており、熊本市と同じ過ちは犯さないだろうと思う。ただ、二つの城の復元整備計画を見比べると、福岡城は二番煎じになりかねないという危惧を感じた。名城の誉れ高い熊本城に対抗していくには、建物の復元だけでなく、もっと福岡藩270年間の歴史にスポットを当て、物語性を付加していく取り組みが必要ではないだろうか。いつまでも『軍師官兵衛』頼みでは情けない。


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