心中偽装の保険金殺人



 福岡県筑豊地区に以前、赤池町という自治体があった。1992年に財政再建団体に転落したことで有名だが、その直前、町で発覚した凶悪犯罪も赤池の名を全国に轟かせた。小田義勝、益田千栄の2人が1億円の保険金をだまし取るため、男女を心中に見せ掛けて殺害したという事件だ。小田には死刑判決が下され、8年前に刑が執行されている。一方、益田は無期懲役判決を受け服役中。当時の新聞記事等によると、取り調べや裁判がかなり異例の経過をたどったことが目を引く。小田に死刑判決が言い渡された時、益田はまだ9年に及ぶ逃亡生活中だった。

 事件のあらましを紹介すると、1990年12月、赤池町の運動公園駐車場で乗用車が全焼し、中から若い男女2人の死体が見つかった。女性は町内に住む宝石店店員(当時20歳、以下Kさん)、男性は近隣の村の無職男性(当時27歳、以下Sさん)。いずれも首に刺し傷があり、これが致命傷とみられた。車内には男性が書いたとみられる「誘ったがバカにされた。死ぬ」という遺書めいたメモが残されていたことから、福岡県警は男性が無理心中を図ったものとしていったんは処理した。

 しかし、Kさんには1億円もの保険金が掛けられていた。しかも受取人が彼女の勤務していた宝石店経営者の益田だったことがわかり、県警が改めて捜査すると、次々に不審点が浮かんできた。まずKさん、Sさんの二人に接点が見つからなかった。また、車内に残された血の量が少なく、別の場所で殺害された後、車内に運び込まれた疑いが濃厚になった。益田と交際相手の小田が相次いで行方をくらましていることも判明。県警は数々の状況証拠から保険金目当ての心中偽装殺人だったとして91年10月、殺人、死体遺棄容疑で2人を指名手配した。ただし、保険金の請求自体は行われていなかったという。

 警察は2人の行方を突き止めることはできなかったが、指名手配から2年後の93年11月、小田が逃走先の埼玉で強盗致傷事件を起こし、逮捕された。翌年2月には福岡に身柄が移され、偽装殺人についての本格的取り調べが始まったが、異例の展開を見せ始めるのはここからだ。小田は事件について黙秘を貫いた。物証を得られないまま福岡県警は殺人容疑等で送検したが、福岡地検は犯行を立証できず、3月には処分保留で釈放せざるを得なかった。もっとも、釈放とは言いながら埼玉の強盗致傷事件の取り調べで身柄は拘束されており、小田は埼玉事件で懲役3年8月の実刑判決を受け、甲府刑務所に収監された。

 福岡県警が新たな証拠(小田に犯行を告白されたという親族の供述)をもとに、服役中の小田を再度逮捕したのは2年後の96年2月。今度は検察側も起訴に踏み切り、この年5月から福岡地裁で裁判が始まった。しかし、小田は公判でも黙秘を続け、弁護側は無罪を主張。長い裁判となったが、初公判から2年半が経った98年12月、小田から殺人の告白を受けたという親族の供述調書を証拠採用することに小田が突如として同意。続く公判では保険金目的に殺人であったことを自ら認め始め、2000年3月15日、福岡地裁(写真)は小田に求刑通り死刑を言い渡した。

 小田は判決当日から「上訴権を放棄する」旨の発言をしており、弁護団による量刑不当を理由とした控訴を自ら取り下げ、4月には死刑が確定した。ただ、Kさん、Sさんの殺害場所などについて小田は明らかにしておらず、事件の全容解明には至っていない中での死刑確定だった。

 小田が公判の中で「どこかで生きているはず」と証言していた益田が田川署に出頭してきたのは、この直後の2000年4月29日夜。小田の控訴取り下げを知り、「自分も出頭する気になった」と供述したと伝えられる。益田の取り調べで、Kさんの殺害場所は田川市の山中、Sさんは川崎町の山道だったことが判明した。Sさんは殺害目的のためだけに益田が直前に知り合い、おびき出したという。

 益田の弁護側は事件を計画し、首謀したのは小田であり、彼女の罪は幇助にとどまるとして減刑を求めたが、福岡地裁は2002年6月27日、益田も殺人に重要な役割を果たしたとして無期懲役判決を下している。事件当時は20歳だった益田だが、この時32歳。現在では45歳前後か。運よく仮出所できても、その時は還暦を大きく過ぎていることだろう。

 小田は2007年4月27日、福岡拘置所で死刑が執行された。この時59歳。事件当時の新聞に彼の顔写真が掲載されていた。いつごろ撮影されたものかはわからないが、凶悪というより神経質そうな風貌だった。いわゆる三白眼で、目つきは何となく暗い感じがしたが、恐らく若い頃は優男だったろうと思えた。黙秘から一転して犯行を認め始めた理由は明らかではない。弁護団にもほとんど心のうちを語らなかったという。
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