やっぱり郡役所跡の発掘?

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 福岡市中央区の赤坂門バス停横の駐車場跡地で、昨年暮れ頃から続いていた発掘調査が終わった。現地には「福岡城下町の発掘調査」という掲示板が設置され、調査期間は最初は3月31日までと告知されていたが、途中で1ヶ月延長された。しかし、4月末になっても調査が続き、本当に完了するのだろうかと危ぶんでいたが、さすがに2度目の延長はなく、調査地点は最終日に大急ぎで埋め戻されたようだ。5月1日には写真のような状態となっていた。この場所ではJR九州のマンション建設が予定されている。(2枚目の写真は3月撮影)

 それにしても、いったい何の遺構が出てきたのだろうか。この調査について今年1月に取り上げた際には、福岡藩の「郡役所」跡ではないかと推測を書いた(
「福岡城下町の発掘調査」)。その後も福岡市からは正式な発表はないが、古地図等で確認する限り、やはり郡役所跡だったのではないかとの思いを強くしている。

 郡役所について改めて紹介しておくと、福岡藩の農政を一元的に担った行政機関で、文政元年(1818年)、その3年前に焼失した藩の中老・斎藤蔵人の屋敷跡に建てられた。これ以前、5人の郡奉行は城内の御殿にあった「御郡役所」やそれぞれの屋敷で実務に当たっていたが、これらの機能を集約したのが新たな郡役所。当時、厳しい年貢収奪により藩内の農村は疲弊が進んでおり、立て直しを図るための農政改革の一環だったという。(『福岡県史 近世研究編 福岡藩(一)』所収、柴多一雄「幕藩制中・後期農村支配機構に関する一考察―福岡藩五奉行制を中心に」)

 この郡役所跡には明治6年(1873年)10月、大明小学校(後に大名小学校に改称)が開校している。その場所については、『大名界隈誌』(柳猛直・財部一雄、海鳥社、1989)には「赤坂門バス停のあたり」とあり、また、『大名校百十年史』(福岡市立大名小学校、1983)に掲載されている明治24年(1891年)頃の校区地図を見ても、発掘場所は郡役所跡で間違いなさそうである。

 調査期間を、当初予定より1ヶ月延長したぐらいだから、何らかの遺構が見つかったのは間違いないが、恒例の発掘成果についての現地説明会が催されなかったことを踏まえると、それ程重要なものではなかったのだろうか。付近を通り掛かった際、礎石らしきものが見えた気がしたが、まったくの勘違いでコンクリート片だったかもしれない。マンション建設が予定され、大急ぎの調査だったのは理解できるが、人通りの多い目立つ場所で発掘を行っていたのだから、簡単な説明資料でも現地に掲示するぐらいの気配りはしてほしかった。実際にそんな説明資料を早良区藤崎の発掘現場で見たことがある。

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