今村カトリック教会、国重文に

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 福岡県大刀洗町にある今村カトリック教会が国重文に指定される見込みとなった。5月15日に開かれた国の文化審議会で、「双塔を聳えさせた壮麗な煉瓦造教会堂」として意匠面が高く評価されたものだ。この教会については5年前の2010年4月にブログで取り上げている。読み返してみると、足りない情報が結構あったので、加筆修正のうえ再録させていただいた。

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 いろいろと評判を聞いていた福岡県大刀洗町にある今村カトリック教会を見学してきた。教会がある集落は、1873年(明治6年)にキリスト教が解禁されるまで隠れキリシタンの里だった場所だ。「いろいろな評判」をいくつか具体的に書けば、<1>筑後平野のど真ん中に隠れキリシタンの里がある不思議<2>小さな集落に場違いな荘厳な教会、といったところだろうか。

 実際に現地に行ってみると、集落があるのはずいぶん開けた場所だった。ロマネスク様式の教会も驚くほど立派で、事情を知らないと、レトロ建築を模した結婚式場か何かと勘違いしそうだ。

 この教会は2006年に福岡県指定文化財となっており、敷地内には町の教育委員会によって説明板が立てられている。それによると、この地にキリスト教がいつ伝わったかは不明らしいが、1560年代にはキリシタンの集団が生まれており、弾圧が激化した島原の乱(1637~1638年)後も隠れて信仰を守り通した。彼らの存在を発見したのは、同じ隠れキリシタンの長崎・浦上の住民だったという。説明板には詳しく書かれていないが、幕末、この地を訪れた浦上の商人が自分たちと似たような風習を持っていることに気付き、ピンと来たということらしい。

 キリスト教の解禁後、今村にもやがて宣教師が着任。現存する教会は、ドイツからの寄付、信徒たちの労働奉仕により1913年(大正2年)に完成した。設計・施工は、当時の長崎で多くの教会建設を手掛けていた鉄川与助。八角形の双塔は高さ22.5㍍。向かって左側の塔だけ上部に窓があるのは、ここが鐘楼になっているためだ。内部は広さ約580平方㍍で、フランス製のステンドグラスが飾られ、天井は美しいアーチを描いている。外観・内部とも建設当初の状態が、今も保たれているという。

 この教会は、原爆で倒壊した旧・浦上天主堂との類似が指摘されている。 浦上天主堂のHPに掲載されている古い写真と比較してみると、二つの塔を配した様式や赤レンガの外壁など、確かに似通っている気がする。鉄川は旧・浦上天主堂の建設にもかかわっていた。また、同天主堂が原爆で倒壊した後、再建に携わったのは鉄川の子息。今村の信徒発見のエピソードを踏まえても、浦上と今村の教会が非常に近い関係にあったのは確かだろう。

 ところで、この地にキリスト教が伝わった経緯は不明と先に記したが、いくつかの説はある。ひとつは、豊後のキリシタン大名・大友宗麟の北部九州進出に際し、家臣団が住み着いたというもの。また、後にこの地方を治めた毛利氏がキリスト教を庇護し、改宗する者が増えたという見方も有力だ。

 1560年代にはキリシタン集団がいたという説明板の記述とは矛盾するが、島原の乱で敗走した島原・天草の農民たちが、この地に逃れてきたという説もある。まるで平家の落ち武者伝説のようだが、郷土史家らは否定的で、大友家臣団説を支持しているらしい。別に氏素性を立派に見せたいわけではなく、「よそ者、ましてキリシタンが逃れてきたところで、受け入れられたはずがない」という論拠のようだ。その通りだという気がする。仮に受け入れられるケースがあるとしたら、もともとそこにキリシタン集落があり、かくまわれた場合だけではないだろうか。

 いろいろと興味の尽きない今村教会、西鉄甘木線の大堰駅から、県道沿いをぼちぼち歩いて30分ほどのところにある。



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