基肄城跡

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 福岡県筑紫野市と佐賀県基山町にまたがる基山(標高405㍍)に登ってきた。町名は「きやま」、山名は「きざん」と読む。山中には国の特別史跡、基肄城跡がある。大野城と同じく、ヤマト王権が白村江の戦い(663年)で唐、新羅の連合軍に大敗した後、大宰府防衛のため665年に築いた朝鮮式山城だ。土塁や礎石、水門などが残っている。

 福岡市方面からこの山に行く場合はJR原田駅(筑紫野市)からが近いと言われるが、道がわかりづらいとも聞いていたので、基山駅から基肄城の水門跡を経由して山頂に至るルートを選んだ。ただ、こちらも町内に案内板等は全くないうえ、場所によっては民家の軒先を通るような箇所もある。ルート選定などで参考にした『福岡県の山歩き』(福岡山の会編、海鳥社、2009)には、ずいぶん細かい道案内があり不思議に思っていたが、現地に行き納得した。該当ページのコピーを持参していなければ、相当迷ったことだろう。

 基肄城築城から1350年。立派な町役場にはこれを祝う垂れ幕もかかっていた。せめて交差点などのポイントに案内標識でもあれば、登山者、または基肄城跡の見学者は助かるだろうと思った。財政問題もあるだろうから、こちらは別に立派な物である必要はない。

 所要時間は基山駅から登山口に当たる水門跡までが徒歩40~50分、水門跡から山頂までが30分程度。登山道は相当急坂だが、その分、一気に山頂にたどり着くことが出来る。帰路は天拝山経由でJR二日市駅から戻る予定だったが、例によって道を間違い、往路と同じ基山駅から帰路に着いた。二日市駅近くにある二日市温泉で汗を流して帰るつもりだったので、少し残念だった。

 ところで、冒頭に基肄城、大野城は大宰府防衛のために築かれたと書いた。しかし、現実的な役割は、防御ライン(水城)が敵軍(唐・新羅連合軍)に突破された時、大宰府の役人らが避難するための「逃げ城」だったと言われている。確かにこんな山中からでは、攻め込んできた敵を迎え撃つのは難しいだろうと思う。

 最近読んだ『福岡県の名城』(アクロス福岡文化誌編纂委員会編、海鳥社、2013)の中に、興味深いエピソードが紹介されていた。太平洋戦争敗戦の際、近隣の女性たちの多くが大野城に逃れたという。当時の庶民たちは皮膚感覚で「逃げ城」という城の本当の機能を理解していたのだろうか。


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