車で行ける古代山城・鞠智城

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 熊本県菊池市の道の駅「七城メロンドーム」に遊びに行き、ついでに近くの山鹿市にある国史跡・鞠智城跡に足を延ばしてきた。大野城や基肄城、水城などと同じく、白村江の戦い(663年)で唐・新羅に敗れたヤマト王権が、両国の来襲に備えて築いた朝鮮式山城の一つとされている。熊本県によって史跡公園化が進められており、復元された八角形の「鼓楼(ころう)」(太鼓で時を告げるとともに、見張りのための建物)が一風変わった景観をつくり出していた。

 最近、大野城、基肄城跡にも行ってきたが、両城があるのはいずれも標高約400㍍の四王寺山、基山の山中で、登山がてらの遺構巡りだった。もともと体力作りを兼ねてだったので覚悟はできていたが、史跡を見学するためだけに大汗をかくのは御免だったろう。一方、鞠智城跡があるのは標高160㍍程度のなだらかな丘陵上で、車で楽に行くことができる。九州自動車道の植木ICからは20数分の距離。古代においても鞠智城跡がある一帯は交通の要衝だったらしく、「アクセスの良さ」は古代、現代の両方で鞠智城のキーワードとなっているように思える。

 鞠智城の築城目的について冒頭、唐・新羅の来襲に備えてヤマト王権が築いたと書いたが、正確な築城目的は実際は不明だ。『日本書紀』に築城が記録されている大野城、基肄城とは異なり、鞠智城が初めて文献に出てくるのは、いきなり修復に関する記録であるためだ。(『続日本紀』文武天皇2年(698年)の「大宰府をして、大野、基肄、鞠智の三城を繕治せしむ」)

 ただ、調査を続けている熊本県教委は立地条件などから「大宰府への兵站基地」を公式見解としており、現地のガイダンス施設「温故創生館」でもらってきた小冊子にも「大宰府を守るために大野城(福岡県)、基肄城(福岡県・佐賀県)、金田城(長崎県)が築かれました。鞠智城は、これらの城に食糧や武器、兵士などを補給する支援基地でした」と紹介されている。

 大宰府から鞠智城まで直線距離で60㌔強。現在の道では最短ルートでも80㌔を超える。古代の歩兵の行軍速度では大宰府まで2、3日はかかる計算で、これでは到底危急の際には間に合わない。だからこそ直接的な大宰府防衛の城ではなく、交通の要衝に置かれた後方支援基地だったという考えだ。一方で、同様に交通の要衝という見地に立ちながらも、北の大宰府ではなく、南の「隼人や熊襲に備えた城だった」という異論もある。(温故創生館のサイトに、これまでの調査報告書が多数PDF形式で掲載されている)

 現在では、アクセスの良さが観光客の誘致につながっている。熊本県が史跡公園整備を始めたのは1994年度からだが、累計来場者はすでに100万人を超えたとの推計がある。ただし、鞠智城跡からは70棟を超える建物跡が確認されているが、現在のところ、鼓楼のほか、米倉、兵舎、武器庫が復元されているだけ。さらに複数の建物の復元整備を進めるため、県は吉野ヶ里のような国営公園化を目論んでおり、実現すれば、「修学旅行などの飛躍的な観光客の増加が見込まれ、これが地域振興の起爆剤となり、県勢浮揚にもつなげていく」と期待している。

 近世の城・熊本城は毎年150~200万人の観光客を集めているが、古代の山城・鞠智城も同様の存在に育てようという遠大な構想なのだろう。

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 鞠智城のシンボル的なモニュメント「温故創生之碑」。防人とその家族、百済の亡命貴族・憶礼福留らの群像だ。憶礼福留は大野城、基肄城の築城を指導したとされるが、鞠智城については関わりは不明。ただし、城跡からは「百済系銅造菩薩立像」が出土しており、やはり百済系の人物が築城に関係したとみられている。

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 「温故創生館」の館内。創生館は2002年4月開館。入館無料。

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 これが道の駅「七城メロンドーム」。名前でわかるようにメロンが地元の名産。


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コメント

非公開コメント

こんばんは、ご無沙汰しております。
興味深い記事が多く、変わらず拝読しております。
ここの史跡のことは全く知りませんでした。復元とは言え、興味をそそる建物ですね。
岩戸山古墳については、素晴らしい古墳だとよく知っていたものの、無精をして行かず、、、
東京に転居した今、簡単に見に行くことが出来なくなっていますので悔やみます。

Re: タイトルなし

コメントありがとうございました。
おっしゃる通り、鞠智城跡も岩戸山古墳も素晴らしい史跡だと思います。
また、無料、または低料金で入館できる資料館が併設されているのもありがたいところです。