動き出した潮見櫓復元

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 解体されたまま四半世紀近くも放置されてきた福岡城潮見櫓の復元がようやく動き出した。福岡市の公式サイトによると、市は現在、潮見櫓の部材を調査したうえで、復元のための基本設計までを担当する事業者を募っている。基本設計は来年3月15日までに終え、2016年度以降に実施設計へと進む段取り。細かいスケジュールは不明だが、市が昨年策定した「国史跡福岡城跡整備基本計画」では、潮見櫓は2014~18年度の短期計画の中で復元されることになっている。そう遠くない将来、福岡簡保事務センター横の土塁上(写真1枚目)に姿を現すことだろう。

 福岡城には47の櫓があったとされるが、大半が破壊され、城址に現存するのは多聞櫓、祈念櫓、「伝」潮見櫓(潮見櫓と伝わってきたが、実際には違い、現在では太鼓櫓と推定されている)の三つだけ。ただ、潮見櫓(こちらは長い間、月見櫓と思われていた)と花見櫓は明治時代の後半、黒田家の菩提寺・崇福寺に国から払い下げられ、仏殿として利用されてきたことで難を逃れた。これを1991年に福岡市が買い取り、将来の復元に備えて解体・保管していたという経緯がある。

 1991年と言えば、3代前の市長・桑原敬一氏の時代。四半世紀の放置とはあまりに長すぎる気がするが、財政難に加え、市長の意気込みの違いなどもあってなおざりになってきたのだろう。

 福岡城跡整備基本計画の短期計画ではこのほか、武具櫓などの復元が予定されている。高島市長は、規模が大きく、福岡城址のシンボルになり得る武具櫓復元に前のめりだと報道されてきた。このため武具櫓の復元が優先されるのではないかと見込んでいたが、今年3月に行われた武具櫓跡の発掘調査説明会で担当者に確認したところ、やはり部材が残る潮見櫓が“復元第1号”になるとのことだった。だったら、同じように部材が保管されている花見櫓復元が、なぜ同時に行われないのかと疑問に思ったが、これはどうも立地条件が関係しているようだ。

 潮見櫓跡があるのは舞鶴公園の一角だが、花見櫓跡地があるのは城内住宅(写真2枚目)の隣接地。つまり住宅街にあり、急いで復元したところで、観光客誘致はあまり期待できそうにない場所にある。このためか1990年代に2度にわたって発掘調査が行われた潮見櫓跡に対し、花見櫓跡は遺構確認のための試掘が行われた程度らしい。従って花見櫓復元のためには、基本設計・実施設計に先立ち、発掘調査が必要になる。

 城内住宅とは舞鶴中学校跡地と市立美術館との間に広がる一戸建て住宅地。終戦後の1946年(昭和21年)、外地からの引揚者のため、城址の一角(国有地)2.6㌶を借り上げて設置されたという。もともとは196戸があったが、福岡市は1994年から移転交渉を進めており、これまでに140戸弱の地上権を取得している。ただ、2027年12月末まで借地権が残っているうえ、何より生活の場であることから、市側も強引な交渉は行っておらず、残る50数戸の移転は長期戦になりそうな気配だ。

 こういった事情もあってか、花見櫓復元については 「国史跡福岡城跡整備基本計画」では将来構想の中に含まれているだけで、当面の間、復元予定はない。せっかくの部材も場合によっては無駄になるかもしれない。


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コメント

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懐かしい

こんばんは。見た瞬間に保険局だな、と分かりました。懐かしいです。昔、臨時職員ですが、勤めていました。保険局、て呼ばれてました。

Re: 懐かしい

コメントありがとうございました。
おっしゃる通り、郵政民営化前は簡易保険局、または保険局と呼んでいた記憶があります。
重厚な建物ですね。