昭和40年代、50歳代は老人だったのか?

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 妙なタイトルだが、昭和時代の連続殺人犯、古谷惣吉(ふるたに・そうきち)に関する話である。古谷は1965年(昭和40)、兵庫、福岡、滋賀、京都、大阪の5府県で短期間に8人の男性を殺害し、85年5月、71歳で死刑が執行された。当時、「一人暮らしの貧しい老人ばかり計八人を殺害」(古谷の死刑確定を伝えた78年11月28日の読売新聞夕刊)と報じられ、現在でもウィキペディアなどネット上には「8人の老人を手当たり次第に殺害」などと書かれている。しかし、8人の被害者の年齢を調べてみて“老人”という表現に違和感を持った。50歳代の人が多いのだ。

 古谷の犯行を時系列で挙げると次の通りだ。
<1>神戸市垂水区で廃品回収業のAさん(57歳)を殺害(1965.10.30)
<2>大津市の琵琶湖畔で売店留守番のBさん(59歳)を殺害(11.2)
<3>福岡県新宮町で英語塾講師のCさん(54歳)を殺害(11.22)
<4>京都市伏見区で廃品回収業のDさん(60歳)、Eさん(66歳)を殺害(12.3)
<5>大阪府高槻市でとび職のFさん(55歳)を殺害(12.5)
<6>兵庫県西宮市で廃品回収業のGさん(69歳)、Hさん(51歳)を殺害(12.12)

 最も若い51歳のHさんはじめ50歳代が5人、60歳代が3人。厚労省資料によると、事件が起きた65年当時、日本人男性の平均寿命は67.74歳。80歳を超える現在(最新の2014年統計では80.5歳)に比べ、13年近くも寿命が短かったわけで、当時の50~60歳代が今よりも相対的に高齢と思われていたのは確かだろう。しかし、実際に何歳ぐらいからが高齢者とされていたのだろうか。

 内閣府の平成18年版『高齢社会白書』に参考になる記述がある。「昭和30年当時は、平均寿命が、男性が63.60歳、女性が67.75歳であり、おおむね平均寿命を超えた人が高齢者と呼ばれていた」と書かれている。昭和30年は古谷の事件よりも10年前で、平均寿命はさらに短かった時代だが、この頃でも50歳代は高齢者扱いはされていなかったわけだ。また、事件が起きた年に行われた国勢調査以降、65歳以上を老年人口と規定している。60歳代の被害者はともかく、50歳代まで老人呼ばわりするのは、どう考えても無理があった気がする。まして古谷本人も事件当時は51歳なのだが、彼については一切老人扱いされていないのだ。

 古谷は身長165㌢。大正生まれとしては比較的大男の部類で、力も強かったらしい。一方、被害者の職業の多くが“廃品回収業”だったことでわかるように、いわゆる社会的弱者だった。当時の報道は、古谷の冷酷、残忍さを際立たせるため、あえて被害者全てをひとくくりにし、“か弱い老人”ばかりを狙ったことにしたのではないだろうか。なお、「一人暮らしの貧しい老人ばかり」という記述には明確な間違いがあり、全く当てはまらない被害者が一人いる。<3>事件の被害者、英語塾講師のCさんは一軒家に家族と暮らしており、彼の遺体を発見したのは帰宅した妻だった。

 時系列では3番目の事件だが、Cさん殺害がきっかけとなって連続殺人事件であることが明るみに出た。Cさん宅にAさんの名前が書かれたスボンが残されており、Aさんを容疑者と睨んだ福岡県警の捜査員が神戸に出向いたところ、半ばミイラ化したAさんの遺体を見つけたのだ。直後に「広域手配一〇五号事件」として捜査が始まり、残された指紋等から古谷が容疑者であることが判明。<6>の事件直後、古谷はパトロール中の警察官によって現場で身柄を確保された。

 この前年の1964年、古谷と同様に連続殺人犯として知られる西口彰が逮捕されている。西口事件は、先頃亡くなった作家、佐木隆三さんの代表作『復讐するは我にあり』のモデルとしても有名だが、佐木さんは古谷の事件に関しても『巡礼いそぎ旅』という短いルポを残している。事件の概要などは『犯罪の昭和史―読本(3)現代』(作品社、1984)に収録されたこの作品を参考にさせていただいた。
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