教室ストーブの思い出


 最高気温が13日には20度を超えていた福岡市だが、寒の戻りで15日には一気に5度前後まで下がり、凍える一日となった。福岡市は現在、全市立小中学校へのエアコン設置を段階的に進めているところだが、これほど寒くても暖房使用は認めていないという。あくまでも夏場の熱中症対策のため設置したエアコンであり、少々寒いのは我慢しろということらしい。せっかく教室にエアコンがあるのだから、校長らの判断で臨機応変に使えば良いのに、と思うが。

 ここで良き大人ならば「暑さ寒さに耐えるのも教育の一環」とのたまうべきだろうが、残念ながら私は根性なしなので、苦難を人に強いることなどできない。また、私が入学した筑紫野市の小学校には当時、冬は教室の後ろにストーブが置かれていたので偉そうなことは言えないのである。転校先の福岡都市圏の他の小学校ではストーブなど見たこともなく、なぜ、あの学校にだけ暖房があったのか今となっては謎だが。隙間風が入るような老朽木造校舎だったためだろうか。

 このストーブで給食時間にちょっとやらかし、担任の太った女性に大目玉を食らったことがある。コッペパンを温めたらうまそうだと思い、二つに割ってストーブの上にのっけたのだ。給食は好き嫌いなく何でも美味しく食べていた人間で、だから逆に特に好物というものはなかったのだが、『タカマーガリン』(こんな商品が給食で出ていた)を塗ったコッペパンのトーストは絶品だった。すっかり気に入り翌日もパンを焼こうとしたところ、初日は何も言わなかった級友たちが騒ぎ出し、担任は「火事になったらどうするの!」と激怒。こうして私のトースト天国はたった一日で空しく終わった。

 この担任には給食時間にもう一度睨まれている。どんな料理だったかは忘れたが、パンに入れて食べ始めたところ、今度もまた「先生、駄田君が変な食べ方をしています」とご注進に及ぶ輩が現れた。担任に「そんなことして美味しいね」と詰問された私は、震えながらも「うまいです」と答え、侮蔑のまなざしを浴びた。極貧の父子家庭の子供はやはり下品だと思われたようだ。現在の給食ではあらかじめパンに挟む前提でメニューが考えられていることもあるようだが、昭和時代、しかも田舎の学校でそんなしゃれたものはなく、私のやったことは相当異端だったのだろう。

 図らずも太った担任の嫌な思い出話ばかりになってしまったが、福岡市立小学校で3、4年生の時の担任だった“日教組のくせに●●差別をしていた中年女”(
「福教組教員の差別」)とは違い、太った担任への嫌悪感は今も全くない。運動会の前、玉入れ用の玉を紅白1個ずつ家庭で作って持って来ることになった時、「あんたのところは大変だろうから」と言って、あらかじめ作ってきた玉2個を私に手渡してくれるような人でもあった。赤玉の色が微妙に茶色だったが。

 写真は私が通った小学校の一つ。ここにはストーブはなかった。
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