ここはバス通りだった

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 福岡市早良区西新に城南線から明治通りに抜ける一方通行の路地がある。上の地図では城西1丁目の交差点と西新2丁目の交差点とを結ぶ通りで、道沿いにはラーメン屋などの飲食店が並んでいる。一方通行であるぐらいだから、かなり狭い道なのだが、先日ふと思い出した。「昔、ここはバス通りだった」と。

 「昔」というのは正確には、まだ西鉄の路面電車が城南線や明治通りを走っていた頃で、城南線というのは本来、路面電車の路線名だった。明治通りを走っていたのが貫線。両線が廃止されたのは1975年11月2日だが、これ以前の福岡の市内交通はバスではなく路面電車が中心で、例えば、中央区六本松方面から西新に向かう場合は電車に乗るのが普通だった。

 ところが、別府橋や鳥飼経由で六本松と西新を結ぶバスが1路線だけあり、このバスが先の路地を窮屈そうに通っていたのである。「6番 市内循環線」と呼ばれ、博多駅を起点にやや特殊なルートを通って市内を一周する路線だった。この頃、西新に用がある時は主に自転車で行っていたが、時折、公共交通機関を利用する時はなぜか、この「6番」を使っていた。誰かに「6番が意外に便利だぞ」とあまり正しくもない情報を教えられ、それを真に受けてしまったのだ。

 狭い道を通る分、通常より一回り小型のバスが「6番」には使われていたが、それでも城南線から右折して例の路地に入る際は、あの西鉄の運転手でもかなり慎重に運転していた記憶がある。なぜ、こんな道をバスが通っていたのか、今となっては記憶が定かではないが、旧・プラリバ前の交差点付近には電停があり、ここではバスの右折が難しかったためだろうか。

 路面電車が廃止され、代替バスが城南線や明治通りに投入されると、「6番」もいつの間にか例の路地から消えた。西鉄バスの評判は以前から芳しいものではなかったが、“陸の王者”などと呼ばれるようになったのは猛烈な数の代替バスが我が物顔で市内を走り回るようになってからではないかと思う。傍若無人の運転ぶりに、車で営業に回っていた私の親族はよく「チンチン電車の方がましやったバイ」と嘆いていた。

 実は「6番」は現在も走っており、ルートも以前とあまり変わっていないのだが、市内循環線ではなく博多駅と福岡タワー南口とを結ぶ路線になっている。

 西新絡みの話をもう一つ。昨年7月いっぱいで閉店したプラリバの建物が今なお残っている。以前にも書いたが、地下鉄西新駅のコンコースと地上とを結ぶ新設エレベーターが未完成のため、この建物のエレベーターを使う以外にないからだ。新エレベーター設置のための土木工事完成予定は6月30日。このお陰で建物取り壊しが1年も遅れたことになる。こんなことならプラリバ閉店も先延ばしして欲しかった。

 プラリバ閉店以降、西新商店街の人出は2割程減ったと聞いた。それが原因かはわからないが、長年通っていたパン屋が先頃店を閉じ、ミスタードーナツもいつの間にかシャッターを下ろしていた。イオン西新店も5月で閉店する。どんどん街が寂れていく恐怖を感じる。「6番」があの路地を通っていた頃の西新は古びてはいたが、はるかに活気のある街だった。




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