赤江の掩体壕再訪

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 宮崎市の赤江地区に残る掩体壕を3年ぶりに見てきた。掩体壕とは米軍空襲から飛行機を守るために造られたコンクリート製の構造物で、この地には戦時中、特攻基地ともなった旧海軍赤江飛行場があった。2013年8月に撮影した際は周囲の水田ではすでに稲の刈り入れが終わっていたが、今回は田植えの直後で、壕は青々とした苗に囲まれていた。

 前回撮影の際は「放置される掩体壕」という記事を書き、宮崎市に保存の考えがないことを紹介した。3年たった現在も状況に変化はない。戦後70年の節目だった昨年、地元住民らが赤江飛行場の記録を収集・展示する資料館建設や掩体壕の保存・戦跡公園化などを強く要望したが、市側を動かすことはできなかったという。

 掩体壕が残る一帯を公園として整備するとなると、農地の買収とともに、道路新設など周辺整備も必要になってくる。巨額の費用が掛かるのは確実。宮崎市の財政事情は詳しく知らないが、今年4月から第7次の行財政改革に取り組んでいるぐらいだから、少なくとも予算が有り余っているわけではない。赤江飛行場跡では毎年、戦死者の慰霊祭が行われ、宮崎市も参加しているが、飛行場の歴史を後世に語り継いでいく上で、市としてはこれが精いっぱいの行動なのだろう。

 掩体壕は築造から70年以上がたった今も堂々たる姿をとどめているが、所々ひびも見える。昨年は、保存を図る最後の機会だったのではないだろうか。戦争を知る世代が少なくなっていく中で、恐らく次の節目の戦後80年には保存を求める声など上がらないと思えるからだ。かといって壕を取り壊すのも大仕事になるはずで、保存も解体もしないという中途半端な状況が今後も続くのは間違いない。コンクリートの耐用年数が続く限り、農地のど真ん中に異様な建造物が鎮座するという奇観は残ることだろう。


 掩体壕近くの畑には、同時期に造られたと思われる小型の壕2基も残っている。これまた妙な景観だ。

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 以前「ヒッピーとコンクリート船」という記事で紹介した通称タンポリこと津屋原沼一帯では土木工事が続いている。南海トラフ地震で想定される大津波から住宅街を守るための堤防工事らしく、2018年度完成の予定。この津屋原沼は、赤江飛行場建設のため土砂を採取された窪地に海水が流れ込んで出来た。これも戦時遺構の一つだ。
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