福岡事件と死刑存廃


 先月17日は“福岡事件”の西武雄・元死刑囚の命日(死刑執行日)で、残念ながら見学はできなかったが、福岡市内では彼の遺品展が開かれていたようだ。毎年、多くの事件が起きている福岡だけに、福岡事件というだけではどの事件のことかわからないと指摘されそうだが、一般的には1947年、中国人ブローカーら2人が射殺され現金が奪われた事件を指している。事件発生から69年、西・元死刑囚の刑が執行された1975年から数えても41年。忘れ去られても不思議ではない事件だが、元死刑囚存命中から始まった再審請求運動は50年以上がたった今も続けられている。

 この事件に関する著作は当事者に近い人物らから数々出されており、今さら個人ブログがテーマとするには荷が重すぎるが、少し興味深い記事を見つけたので、この記事を参考に取り上げてみたい。

 まず福岡事件についてごく簡単に説明すると、1947年5月20日、現在の福岡市博多区で起きた強盗殺人事件だとされている。犯人らは軍服を販売すると偽っておびき出した中国人ブローカーらを拳銃で射殺し、現金10万円を奪ったというもので、首謀者とされたのが西・元死刑囚、そして実行犯が故・石井健治郎氏だった。2人には死刑判決が下され、56年4月、最高裁が上告を棄却し死刑が確定した。

 しかし、死刑囚教誨師として2人の訴えを聞いた僧侶・古川泰龍氏は、石井氏が2人を射殺したのはケンカ相手と勘違いしての誤殺で、西・元死刑囚は被害者らと軍服の取引を行っていただけで全くの無関係だと冤罪を主張。古川氏の支援で2人は数度の再審請求、さらに69年8月には時の法相の「戦後の混乱期に死刑判決が出されたケースでは恩赦を積極的に検討する」という方針を受け、恩赦を出願した。6年後の1975年6月17日、石井氏の恩赦は認められ無期懲役に減刑されたが、まさに同じ日、西・元死刑囚には「恩赦不相当」の決定が伝えられ、即日、刑が執行された。

 同じ事件で死刑判決を受けながら、一人は土壇場で死を免れ、一人は刑場に――この残酷とも言うべき仕打ちは論議を呼び、執行から2日後の6月19日、読売新聞は「死刑制度はどうしても必要か」と問いかける社説を掲載している。最近見つけた興味深い記事とはこの記事のことで、以下に一部を紹介する。

 死刑存続論の主な根拠は犯罪抑制の効果に対する期待と、被害者遺族の心情に対する配慮といってよいだろう。しかし、死刑廃止国のこれまでの調査によると、死刑廃止前後の犯罪率に大きな差はないとされている。また、被害者遺族に対して、国がまず果たすべき施策は、個人に代わって犯人に応報することではなく、むしろ、誠意ある補償制度を確立することではないだろうか。
 われわれは死刑制度に異議をとなえる背景の一つとして誤判の恐れを強調しないわけにはいかない。(中略)
 こんどの処刑は、死刑制度の矛盾を一層際立たせた。死刑制度は、人道上、あるいは刑事政策の上から容認されるべきものかどうか、改めて再検討することを政府や国会に期待したい。また、その結論が出るまで、刑の執行は、一時停止することを望みたい。

 死刑廃止を訴える人権団体が昨日発表した文章だと言っても違和感ない内容だが、あえて繰り返す、41年前の読売新聞の記事である。保守的な論調で知られる新聞であり、少なくとも現在では死刑廃止の側には立っていないと理解している。その読売新聞が死刑制度に異議を唱えるほど、西・元死刑囚の執行は理不尽なものと受け止められたわけだ。

 ただ、この時の議論は言うまでもなく死刑廃止には結びつかなかった。先の社説が図らずも書いていたが、1975年当時、福岡事件とは「半ば忘れられかけた事件」であり、多くの国民の関心を集めるまでには至らなかったのだろうか。

 西・元死刑囚の恩赦が認められなかったのは、冤罪を訴えていたため、司法側からは「反省が足りない」と判断されたためだとも言われる。石井氏恩赦の日にあえて執行した理由は不明だ。何らかの政治的意図があったのかもしれないが、次の再審請求が出される前のタイミングを狙っただけではないかとも思える。1981年に仮釈放された石井氏は熊本県玉名市の古川氏の寺に身を寄せ、2008年12月、91歳で死去した。

 事件の概要等は『冤罪・福岡事件 届かなかった死刑囚の無実の叫び』(内田博文編著、現代人文社、2012)などを参考にした。写真はイメージ。
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