福岡にもあった奥村黄花園


 1910年(明治43)に発行された『福博電車沿線名所案内』(福岡県立図書館のデジタルライブラリーで閲覧できる)という絵地図に「黄花園」という建物が描かれている。“黄花”という文字から、恐らく菊花園だろうと見当を付けたが、野外施設ではなく建物であることが腑に落ちなかった。調べてみると、この施設は「奥村黄花園」という菊人形の展示館だったことがわかった。奥村黄花園とは明治中頃に名古屋市で誕生した一種の見せ物小屋で、電気を使った派手な仕掛けが人気を呼び、東京、大阪、神戸など全国に展開していたという。東京では旧・両国国技館が会場だったというが、福岡には常設の小屋があったわけだ。

 黄花園があったのは西公園電停の南側。現在で言えば、大濠公園沿いだが、大濠公園の開園は1929年(昭和4)のことなので、 『福博電車沿線名所案内』にはまだ、埋め立て前の広大な草香江の入り江が描かれている。大雑把な絵図のため、黄花園の正確な場所までは特定できないが、現在、西鉄バスの車庫(写真)がある辺りではないかと推測している。

 
国立国会図書館デジタルコレクションに収録されている『現在の福岡市』(上野雅生、九州集報社、1916)という資料には、福岡の黄花園について「西公園停留所前にあり。精緻なる菊人形を以って其名遠近に高く毎秋客を引いて薫香を誇る」などと紹介されている。かなりの人気だったことがこの文章からは想像されるが、これ以外に福岡の黄花園についての情報を見つけることはできず、施設の規模・構造等はもちろん、いつ開園し、いつまで存続したかさえもわからなかった。ただ、 1918年(大正7)2月5日の福岡日日新聞記事には、同年4月に西公園下で化学工業博覧会が開かれ、黄花園の建物が会場の一つとして利用されると書かれている。この年に少なくとも建物が残っていたことは確かだ。

 菊人形とは、今さら説明するまでもないが、等身大の人形の衣装代わりとして菊の花を飾り立てものだから、興業は秋に限られていた。奥村黄花園の本家、名古屋市の図書館のデジタルアーカイブ
「なごやコレクション」に黄花園の絵はがきが8枚がデジタル保存されているが、この説明書きには「10月初旬から約2か月開園し」とある。菊栽培から始まる人形作りの労力や費用、さらに展示施設の維持費等を考えれば、わずか2か月程度の興業で利益を生み出すには相当数の入場者が必要だったはずだ。福岡という街は飽きっぽい市民気質で知られるだけに、ここで人気を維持していくのは至難の業だったことだろう。

 当時の菊人形は歌舞伎や狂言を題材としたものが多かったとされ、「なごやコレクション」の8枚の絵はがきにもそんな雰囲気の人形が写っている。詳しい人が見れば、歌舞伎のどの場面かも見当が付くのではないだろうか。福岡の黄花園についても記録写真等が残されていれば面白いのだが。
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