プラリバこの秋から解体へ

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 昨年7月いっぱいで閉館しながら、今もそのままになっている旧・プラリバ(福岡市早良区西新4)の建物解体がこの秋、ようやく始まる見込みだ。なぜ、1年以上も解体が遅れたのかというと、地下鉄西新駅にコンコースと地上とを結ぶエレベーターがなく、プラリバのエレベーターが代役を果たしてきたため。閉館を知り、市が慌てて造り始めた自前のエレベーターはやっと今秋完成予定で、これを待って解体に取り掛かれるというわけだ。それにしてもプラリバを運営していた東京建物と福岡市とがもっと密接に連絡を取っていれば、閉館前にエレベーターを完成させることも可能だったのではないだろうか。(写真手前の工事現場がエレベーター建設現場)

 このプラリバの建物はもともと、老朽化した商店が密集していた西新地区の市街地再開発ビルとして建てられたものだ。建設の際もスムーズにいかなかった記憶がおぼろげながらあったので、改めて沿革を調べたところ、地権者が再開発推進派と反対派に真っ二つに割れて紛糾、着工が2年も遅れたことがわかった。最後は市が反対派の土地を強制収用することを決め、これを嫌った反対派が土壇場で折れ、再開発ビルは1979年7月に着工、2年後の81年6月に完成した。西新地区再開発には、土地利用の高度化により明治通りなどの周辺道路を拡幅、交通の難所解消を図るという側面があり、事実上は福岡市が主導していた経緯がある。

 プラリバに続き、今年5月には西新商店街のもう一つの核店舗だったイオン西新店が閉店、商店街の人通りは目立って少なくなってきた。6月市議会の一般質問では議員の一人が西新地区の活性化策を問い質したが、議事録を読んだ限りでは、経済観光文化局長ら3人の局長たちは「西新のにぎわいは重要」という立場は表明しながらも、熱のない答弁に終始した。質問したのが市側に批判的な革新系無所属の議員だったこともあり、まともに答える気がなかっただけかもしれないが、市長が主導する天神ビッグバンという中心市街地の大掛かりな再開発を抱え、西新には本当に関心がないという可能性はあると思う。再開発ビル建設までの経緯を思えば、「今さら他人のふり」はできないはずだが。

 前述のように西新再開発には交通の難所解消という目的もあったが、だったら今なお難所となっている脇山口交差点の改良はなぜ行わなかったのかという疑問が出ると思う。実は構想はあったようなのである。再開発構想は旧・プラリバだけでなく、城南線を挟んで西側の一帯でも浮上し、西側をA地区、東側(旧・プラリバ側)をB地区と呼んでいたという。ところが、A地区は全く具体化しないまま、構想自体が雲散霧消してしまい、今もリヤカー部隊が繰り出す昔ながらの商店街として残った。どちらの判断が正しかったのかという問いには、恐らく答えは出ないだろうと思う。

 ※西新駅のエレベーターは9月30日から利用開始、プラリバのエレベーターは10月1日に閉鎖すると福岡市が発表した。
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