川南造船所跡地のいま

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 かつて廃虚マニアの間では“超有名物件”だった川南造船所の跡地(佐賀県伊万里市)に10月3日立ち寄り、依然として公園整備がまったく進んでいないことを確認してきた。2012年初めに取り壊され、跡地は公園になるはずだったが、昨年3月、更地の状態で放置されていることを知り、事情を調べたことがある(「川南造船所跡は公園になるはずでは」)。それから1年半、取り壊しから数えれば4年半。造船所跡地は廃虚があった頃と同様、人の背丈以上の雑草で覆われ、荒廃した雰囲気を漂わせていた。

 川南造船所とは、太平洋戦争中に特攻兵器「海龍」などを製造していた軍需工場で、戦後も鋳物工場などとして操業を続けていた。経営していたのは川南工業で、その社長が川南豊作。1961年に明るみに出たクーデーター未遂事件「三無事件」の主犯格として知られる人物だ(
「三無事件と川南豊作」)。工場は1955年、経営破綻により閉鎖されたが、権利関係が複雑だったため一部建物の取り壊しは進まず、廃虚と化していた。「貴重な戦争遺産」として保存を望む声はあったものの、地元では「地域衰退の象徴」などとして解体を求める声が強く、伊万里市は2011年、学識者からなる検討委員会に諮ったうえで、翌年、全面取り壊しに踏み切った経緯がある。市はこの時、跡地を公園として整備する方針を示していた。

 1955年の閉鎖から半世紀以上も放置されながら、2011~12年になって一気に解体話が進んだのは、佐賀県が建物の補償費や解体費を全額負担する方針を決めたためだという。佐賀県は、造船所跡が面した伊万里港浦ノ崎地区で浚渫土砂による埋め立てを進めており、これにより83㌶の土地が新たに生まれる。この土地の利用方法について、佐賀県は現段階では具体的な方針を示していないが、県議会の会議録を読んだ限りでは、古川康・前知事は工業団地として整備し、企業誘致を図る意向を見せていた。この古川・前知事こそが川南造船所跡取り壊しのための費用負担を決断した人物で、「隣に廃虚が居座っていたのでは企業誘致が進まない」という判断だったのではないかと想像している。

 造船所跡地(3.3㌶)の公園整備が一向に進まないのは、伊万里市がこの埋め立て地との一体活用を望み、県の土地利用計画決定を待っているためだと考えられ、跡地の公園化については、現在ではいったん反故になったと考えても良いのではないかと思う。

 埋め立ての現状だが、先行して進んでいる造船所跡地正面の第1工区30㌶についてはほぼ終わっているが、今年6月の県議会本会議で、県側は議員の質問に答え「一見して整備が完了しているように見えるが、今後3㍍の地盤沈下が見込まれ、地盤改良のためなお数十万立方㍍の土砂が必要」との見通しを示している。 第2、3工区に至ってはなお大量の土砂が必要と答えており、県側の答弁からは土砂の調達に苦心している様子さえうかがわれる。

 浦ノ崎地区埋め立ての護岸整備が始まったのは実に1982年のことだが、完了までにはまだ長い時間が必要と思われる。造船所跡地が一体活用されるのならば、今度は長い期間、更地のまま放置されるかもしれない。廃虚がなくなっただけで万々歳なのかもしれないが、地元住民が望んでいたのはこんな状況なのだろうか。



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