五ヶ山ダムを見てきた



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 先日、ドライブついでに福岡県那珂川町と佐賀県吉野ヶ里町にまたがる山間部で進む五ヶ山ダムの建設現場を見てきた。本体工事はほぼ終わり、今月から試験湛水も始まっている。周辺道路から垣間見えるダムの巨大な姿や、やがて水没する吉野ヶ里町側の小河内集落跡を写真に収めてきたが、スケールの大きさに圧倒された。

 ダムは来年度には完成予定で、福岡都市圏が過去2度起きたような異常渇水に見舞われた際は救世主的な役割を担うことになる。このダム建設には1,050億円もの巨費が投じられ、また、小河内集落では25世帯40人あまりが集団移転を強いられた。「壮大な無駄だったのではないか」という意見はあるが、2度の「福岡大渇水」(1978~79年と1994~95年)を経験した者としては、五ヶ山ダム完成により「3度目はないのでは」という期待感を抱かせるのは確かだ。

 五ヶ山ダムは高さ約102㍍の重力コンクリート式ダムで、有効貯水容量は3,970万立方㍍、利水容量は3,170万立方㍍。いずれも福岡県内では既存ダムを大幅に上回り、最大となる。このダムのすぐ下流には南畑ダム(利水容量512万立方㍍)、別の谷筋には脊振ダム(同398万立方㍍)もあり、こんな場所に巨大ダムを造っても簡単に水は貯まらないだろうと思ってしまうが、そもそも数年掛かりで水を貯める目論見で計画されたらしい。利水容量の約半分、1,660万立方㍍の水は異常渇水の時のみに使われるもので、他のダムが干上がった場合はこの水で急場をしのぐことになる。1,660万立方㍍のうち、1,310万立方㍍が福岡市分だ。

 福岡市水道局が公表している水道事業統計年報によると、市の1日の水道使用量は最大で約45万立方㍍、平均で約40万立方㍍。これに対し供給能力は倍近い約78万立方㍍に上り、余力は十分すぎる程ある。供給されている水道用水の水源別内訳は、既存ダムからが38.5%、那珂川、多々良川などの近郊河川からが26.9%、福岡導水によってもらい受ける筑後川の水が34.6%で、海水から1日5万立方㍍の真水を作り出せる海水淡水化センター(福岡市東区)がプラスアルファとして加わる。

 問題は、普段はいくら余力があっても、海水淡水化センター以外の水源はすべて雨頼みだということで、現実に1994~95年の大渇水の際は、大河川・筑後川さえも大きく流量が落ち、福岡市の給水制限は295日にも及んだ。ちなみに1978~79年の給水制限は287日。この2回の大渇水を経験した福岡市民は、まともに水が出ない生活を計1年半も強いられたのである。遠く筑後川から水をもらい、さらには隣県の集落を水没させてまで水を確保しなければならないのだから、やはり福岡市は大きくなりすぎたのだろう。

 五ヶ山ダムの建設現場を過ぎ、東脊振トンネルをくぐると、すぐに道の駅吉野ヶ里がある。ここで五ヶ山ダムのダムカード(下の写真)をもらった。私は初めて手に入れたが、ダムカード収集は愛好家の間で人気らしい。カードの裏面には「県営ダムとしては、国内初となる巡航RCD工法を採用し、昼夜途切れることのない高速施工を実現」とかなりマニアックな説明があったが、本体工事が始まったのは2012年6月なので、確かに工事自体は大変なスピードで進んだと言える。ただ、このダムが造られることになったきっかけは1978~79年に起きた最初の福岡大渇水なので、ここから数えれば、膨大な歳月がかかったことになる。

 1978年といえば、福岡市にあったクラウンライターライオンズが西武ライオンズとなって所沢に移転したり、江川卓「空白の一日事件」が起きたりした年だ。私自身は福岡大渇水を経験し、ライオンズ移転の悲哀を味わった中高年だが、大方の人にとっては1978年など、もはや“昭和史の彼方”だろう。


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