川南造船所廃虚の行旅死亡人

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 11月18日の官報に、記憶のある行旅死亡人の公告が掲載されていた。

 本籍・住所・氏名不詳、推定年齢40~60歳代の男性で推定身長150cm前後、歯牙に歯科的治療痕、着衣等は、薄緑色作業服上下、白色靴下、黒色運動靴(25.5cm)、腕時計、鍵、爪切り、白色ロープ、硬貨4,560円
 上記の者は、平成21年3月13日午後3時頃伊万里市山代町立岩無番地の元川南造船所跡地で白骨化した人骨として発見されました。死亡は死後2年~10年経過していると推定。死因は縊死。遺体は火葬に付し、遺骨は市内に納骨してあります。お心当たりの方は、本市福祉課まで申し出てください。

 あの川南造船所跡の廃虚で2009年3月に見つかっていた白骨遺体が、7年以上もたった今頃になって行旅死亡人として掲載されたというわけで、ずいぶんとのんびりした話だ。『行旅病人及行旅死亡人取扱法』では第9条で、行旅死亡人が身元不明の場合、発見時の状況や相貌、遺留品などを官報等で告示するよう市町村に義務づけているが、期限は区切っていないので、7年後の掲載と言っても別に問題はないのかもしれないが。

 記憶があったというのは、このブログで初めて川南造船所について取り上げた際(2010年2月投稿の「川南造船所跡」)、白骨遺体発見についても少し触れていたためだ。この時に調べたところでは、名古屋から訪れていた廃虚マニアの男性が遺体を見つけ、通報したと報道されていた。川南造船所跡については私などが興味を抱くはるか前から、多くの人々が注目し写真や動画をインターネット上に公開していた。そんな状況の中で、少なくとも2年以上も遺体が見つからなかったのは不思議だが、遺体が生い茂った木々で覆われていたためのようだ。私も2011年11月、地元の人の案内で内部に入ったことがあるが、確かに廃虚を覆う木々やツタ、草はすさまじい状態だった。上の写真はこの時に撮影した。

 造船所跡の廃虚を初めて目にしたのは2005年5月、長崎県平戸市に行った際だった。この時は通り過ぎただけだったが、異様な姿は印象に残り、転勤先から福岡に戻った後に何度か通うきっかけになった。建物の全体像は最後まで良くわからないままだったが。下の写真は1977年に撮影された造船所跡一帯の航空写真で、国土地理院の「地図・空中写真閲覧サービス」からお借りした。中央付近に写るのが造船所跡。55年の工場閉鎖から、この時すでに20年以上がたっているが、まだ緑には覆われておらず、この写真では形状をはっきり確認できる(横4094ピクセルまで拡大可能)。

 造船所跡前を走る道路は佐賀県唐津市と長崎県佐世保市とを結ぶ国道204号線で、ちょうどこの航空写真が撮影された1970年代後半頃には予備校の遠足で通ったことがあるはずだが、造船所跡については何の記憶にも残っていない。浮かれていたためだろうか。県外に遠足に行くなど、つくづく変な予備校に通っていたものだと今さらながら思う。最後になったが、亡くなられた男性のご冥福をお祈りする。


19771020国土地理院
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