山苞の道は古墳ロード

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 福岡県久留米市田主丸町の耳納連山北麓に「山苞(やまづと)の道」 と名付けられた農道がある。景観的には何の変哲もない田舎道なのだが、沿道には観光農園や焼酎工場、ワイナリー、ギャラリー、カフェなどが集まり、ちょっとした観光道路となっている。11月30日、この道をドライブしていて、なぜか耳納連山東端の鷹取山に入り込んでしまい、Uターンしようとした公園で古墳の横穴式石室が多数密集しているのに出くわした。

 せっかくだから車から降り、付近を散策してきた。現地にあった説明板によると、森部平原古墳群という群集墳で、6世紀後半ごろの築造と推定されるという。短い時間歩き回っただけで10基程の石室を確認できたが、実際には約70基があり、県の史跡にも指定されている。石室の中には天井が抜けているものもあったが、全体的に保存状態は良好で、内部の構造などが良くわかった。

 帰宅後に見た田主丸町の観光サイトによると、古墳群がある平原公園は桜の名所で、桜の花びらが古墳を覆う風景は春の風物詩だという。雰囲気は一見、ほぼ同時期に造られた福岡市早良区の西油山古墳群(
「野芥の塚穴」)によく似ている気がしたが、ほぼ捨て置かれたも同然の西油山に比べ、さすがに県史跡の平原ははるかに大事にされている様子だった。

 再び「山苞の道」に戻ると、今度は「田主丸大塚古墳」という大規模な古墳に行き当たった。周囲は史跡公園としてきれいに整備されている。これまた車を停め見学してきたが、園内のあちこちに説明板が設置され、この古墳について様々な角度から学べる構成になっていた。

 記されていた情報を総合すると、森部平原古墳群と同じく古墳時代後期の6世紀後半に造られた前方後円墳で、その規模は全長103㍍、後円部の直径60㍍。同時期の古墳としては九州最大だという。従来は円墳だとみられていたが、1993年度に行われた調査で前方後円墳だったことが判明。2012~14年度に史跡公園として整備されたという。また、後円部には「造り出し」という付帯施設があったとみられ、説明版に取り付けられていた復元模型は、急須を上から見たような形をしていた。付近にある古墳ととともに「田主丸古墳群」として国史跡にもなっている。

 被葬者についての情報はなかったが、上記の観光サイトには「その規模にも関わらず、文献も地名にまつわる氏族の伝承もない謎につつまれた古墳です」と紹介されていた。研究者の間では浮羽地方を治めていたと思われる豪族、「的臣(いくはのおみ)」一族の首長墓ではないかという見方があるようだが、“的臣の墓”であるよりも“謎に包まれた古墳”である方が個人的には魅力を感じる。「山苞の道」は古墳ロードでもあった。

 ところで、この日、耳納山麓に行ったのは道の駅くるめでの買い物と、近くにある「柳坂曽根のハゼ並木」を散策するのが主目的で、ついでに周辺をぶらぶらしようと「山苞の道」を初めて通ってみた。柳坂曽根のハゼ並木は延長1.1㌔の道沿いに約200本が植えられ、この時期は紅葉の名所となっている。幕末、久留米藩がろうそくを特産にするため、ハゼの植林を奨励したのが始まりだという。ボランティアガイドをされていた地元の方によると、見頃は1週間前だったそうで、残念ながら真っ赤に染まった光景を見ることはできなかった。暖冬が続いているためか、近年は総じて色づきがあまり良くないという。

 「山苞の道」の道については、詳しくは田主丸町観光サイトにある
『山苞の道物語』へ。

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