油山市民の森の吊り橋

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 福岡市の油山市民の森に赤く塗られた吊り橋が架かっている。長さ52㍍、地上からの高さは30㍍。2015年4月に書いた「遠足はいつも油山だった」の中で、「1969年、『市民の森』開設に当たり南区のご夫妻が寄贈し、78年に市が改修したと現地説明板にあった。吊り橋を寄贈するとは豪気だ」と紹介したことがあるが、実は市側が長く受け取りを拒否し、吊り橋はまさに宙ぶらりんの状態になっていたことを先頃、たまたま知った。詳しい経緯についてはまだ、調べ切れていない部分があるが、現在ではほとんど記憶(記録)されていない話ではないかと思うので、取りあえず書き留めておきたい。

 最初に、油山市民の森とは、油山(標高597㍍)の中腹に1969年開園した自然体験&レクリエーションの場で、キャンプ場やアスレチック施設、草スキー場、展望台などが備えられている。整備に当たったのは福岡市と、このために設立された民間団体「市民の森運動本部」。吊り橋は市内の社長夫妻が寄付した300万円で運動本部が建設した。完成した吊り橋は69年8月18日に渡り初めが行われて以降、市の新たな名所として大変な人気を呼んだが、皮肉にもこの人気が仇となった。

 吊り橋はもともと1日平均50人程度が利用するという想定で設計されていたというが、利用開始が夏休みと重なったこともあり、連日、小中学生を中心に2,000~3,000人が詰め掛け、この結果、橋は横揺れが激しくなるなど危険な状態となった。このため運動本部は渡り初めから、わずか1か月で通行禁止にし、社長夫妻から再度、多額の寄付を受けて補修工事を行った。しかし、吊り橋の安全検査を行える機関が福岡市にはなかったため、通行禁止措置はそのまま継続されることになった。

 その状況の中で、建設主体の運動本部はこの年の12月、市民の森開園で役割を終えたとして解散。一方、福岡市側は安全性に疑問ありとの理由で吊り橋受け取りを拒否し、吊り橋は入り口を閉鎖された状態のまま、長く放置されることになった。橋のたもとには「この橋は歩道橋ではなく観賞用です」と書かれた立て看板が市により設置されていたという。

 調べがつかなかったのは、吊り橋の通行禁止がいつ解除されたかだが、現地説明板にある記述を素直に受け取れば、78年に市が改修した後ということになる。だとしたら、実に9年間も“観賞用”の状態が続いたことになるが、いくら何でも長すぎる気はする。ただ、「遠足はいつも油山だった」で書いたが、油山には小学生時代、嫌になるほど登った割には吊り橋を渡った記憶はない。通行禁止が本当に9年も続いたかどうかは別にして、小学生の団体が安心して渡れる状態ではなかったのかもしれない。

 現在の吊り橋は、高所恐怖症の私でもまったくスリルを感じない安定した橋。年間を通じて多くの市民でにぎわっているが、中でも紅葉の時期には絶好の観賞スポットとして人気を集めている。再来年で50周年を迎える油山有数の名所が、こんな歴史を秘めていたとは意外だった。

 【追記と訂正】福岡市農林水産局発行の小冊子『油山市民の森40年の歩み』(2010)に吊り橋の沿革が詳しく書かれていた。現地説明板の記述に基づき、1978年に改修されたと紹介していたが、実質的には完全な架け替えで、現在の吊り橋は2代目であることがわかった。初代吊り橋は補修後、1970年6月に再オープンしたが、市側は通行を午前9時半から午後4時半までに限ったうえで、市側はこの時間帯には常時、係員を置き、多数の人が同時に渡らないように目配りしていたという。

 ただし、1971年5月13日の読売新聞地方版には、この時点で吊り橋入り口には常時カギがかけられ、市側は「地方自治法で補修しなければならないものは受け取れないことになっている」と受け取りを拒否していたと報じており、『40年の歩み』の記述とはかなり食い違いがある。リアルタイムの新聞報道と40年後にまとめられた記念誌、どちらが正しいのだろうか。
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