福岡市通俗博物館

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 福岡市に戦前まで、『通俗博物館』なる施設があったと知り、「館内は俗な展示物で埋め尽くされていたに違いない」と勝手に想像してワクワクしてしまった。ところが、これは大正時代ぐらいから盛んに提唱され始めた“通俗教育”のための施設で、通俗教育は現在では社会教育という言葉に言い換えられている。通俗の意味が現在とは異なり、要するに普通の博物館だったわけで、少し落胆した。

 通俗博物館があったのは現在の福岡市中央区天神1丁目、中央警察署がある辺り。1917年(大正6)、大正天皇の即位を記念して市によって建てられ、記念館(講演会場)も併設されていた。収蔵品は3,000点にも上っていたというが、大半が1945年(昭和20)6月19日の福岡大空襲により疎開先で焼失。難を逃れた数少ない収蔵品の一つが、現在は福岡市博物館に展示されている「ドン」(写真)だという。正午の時報代わりに空砲をぶっ放していたという代物で、この大砲は自身のとんでもない歴史とともに、通俗博物館の生き証人でもあったわけだ。

 ほかにどんな物が収蔵されていたかは、『福岡市議会史 第2巻 大正編』(1991)に収録されている「福岡市通俗博物館規則」で何となく想像できる。「第三条 本館に陳列すべきものの種類左の如し」として、次のような物が列挙されている。
 <碩学鴻儒、忠信義士、孝子、節婦及産業に功労ある者の肖像、遺墨、遺物等><児童成績品、学用品、教師の考察研究に成る物品><経済的台所用品、教育玩具、古今風俗模型標本、其の他の参考品>……。

 まだまだ多数書かれているのだが、まったく通俗的ではない面白みのない物ばかりだ。似たような感想は大正時代の市議たちも持っていたらしく、先の『福岡市議会史』には開館からわずか6年後の1923年には廃館を訴える議員も現れたことが記されている。議員側の主張は「経費は毎年四千円以上のものを支出しているが博物館の内容は余りに貧弱である。同館にあるくらいのものは小学校にもあって…」というもので、かなり痛烈だ。
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 通俗博物館の建物は左右に尖塔を配した重厚なゴシック様式で、こちらの方は戦火を免れ、戦後も長く中央公民館として活用されていたという(写真右、福岡市総合図書館の資料から拝借した)。取り壊されたのは1979年(昭和54)だったという情報がある。天神には今も
県公会堂貴賓館旧日本生命九州支社(現・福岡市文学館)という重要文化財が残っているが、昭和の後半まではこのほかにも、通俗博物館や旧県庁舎、旧大同生命福岡支店など数多くの近代建築が密集していたことになる。当時の魅力的な街並みについて、あやふやな記憶しか残っていないのが残念だ。

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コメント

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『通俗』の意味

私も戦前、戦中の事項を調べた時に『平民主義』という言葉にぶつかり疑問を生きました。現代の辞書では立項されていないので昭和16年発行の”廣辭林第709版”を購入し調べましたら現在でいう”民主主義”の意味だと知りました。当時は『絶対天皇制』の時代、民が主体となる=民主主義は危険思想だったのですね。
因みに、通俗を調べますと廣辞林では”世間一般、世俗”、今でも入手可能な”齋藤和英辞典”では通俗=Popularと単純明快でした。

Re: 『通俗』の意味

コメントありがとうございます。
主に大正期に提唱されていた通俗教育とは一般大衆への教育を意味していたようですね。これはご指摘のように「世間一般」ということでしょう。上から目線の用語だったことが良くわかります。