青島の橘ホテル跡地

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 12日、宮崎にホークス春季キャンプ見物に行ったついでに青島方面を散策してきた。“幽霊ホテル”と呼ばれた旧橘ホテルの廃虚は7年前に姿を消し、広大な跡地と青島海水浴場との間は無粋な金属製のフェンスで仕切られていた。20年間も居座っていた幽霊ホテルがなくなり、すっきりはしたが、物寂しさを感じる景観でもあった。宮崎市と、跡地を所有する地元の財産区は4月から、事業者を公募して跡地開発を進める方針で、昨年、市が行った事前ヒアリングでは意欲を示した事業者が10社を超えたという。かつては宮崎を代表する観光地だっただけに、ポテンシャルを感じる企業も多いのだろう。

 橘ホテルは1967年開業。7階建て、客室数は330室に上る巨大ホテルで、最盛期は宮崎が新婚旅行ブームに沸いていた1970年代。この頃の宿泊客数は調べきれなかったが、ブームが去った後の80年代にも年間20万人以上の宿泊客を集めていたという。私も70年代、新婚旅行ではなく修学旅行でこのホテルに泊まったが、複数の学校が同宿していた記憶がある。大雑把に言えば、一晩に数百人の中高校生が橘ホテルに泊まっていたわけだ。ところが、昨年11月に発行された最新版の『宮崎市観光統計』によると、2015年1年間に宮崎市に宿泊した就学旅行客はわずか2,900人。あまりに少なくすぎ、間違いではないかと思ったが、事実ならば、観光宮崎の衰退は修学旅行客から敬遠されていることが大きな要因なのではないだろうか。

 話を橘ホテルの来歴に戻すと、不動産会社が1990年に買収し、同社は同年12月、建て替えのため一時休業した。しかし、バブル崩壊に伴う経営悪化により、建て替えも営業再開もできないという状態に陥り、結果として20年間も野ざらしの状態で放置されることになった。別のリゾート会社が2008年、跡地をコテージ群として再開発する計画に乗り出したが、この会社も翌年、建物の解体を終えたところで銀行から融資を断られ、撤退したという経緯がある。4月からの業者公募は三度目の正直ということになる。

 昨年のヒアリングでは、跡地活用策について業者からは「リゾートホテルとレストラン」「高級シニアハウスと介護付き老人ホーム」「産学官連携でのメディカルセンターとスポーツリハビリ施設」などのアイデアが出されたという。宮崎市はヒアリング結果の公表資料の中で「宿泊施設やレストラン等を有する観光拠点、パブリックなスペースとなる広場や周遊性を持たせる遊歩道などの提案があり、これは本市が示した整備の考え方と一致するものでした」と明言しているぐらいだから、やはり観光開発が本意なのだろう。

 青島海水浴場の写真を撮影した後、遊園地「こどものくに」付近まで足を延ばした。「南国」と呼ばれる宮崎だが、ちょうどプロ野球キャンプが行われる2月はかなり寒く、地元では「●●がキャンプに来る頃が一番寒い」(●●には地元でキャンプを張る球団名が入る)などと、プロ野球チームが寒波の使者みたいに言われている。まして12日はこの冬一番の寒波が去った直後だったので、海風はかなりの冷たさだった。「南国」も演出による部分も大きいのではないかと思う。例えば、南国ムードを漂わせている街路樹のワシントニアパームは北米原産で、実は結構寒さに強い樹種だということを比較的最近知った。そう言えば、冬には強烈な寒風が吹き荒れる、わが福岡の百道浜海岸にも植えられ、元気に育っている。

 ところで、「こどものくに」を遊園地と書いたが、そう表現できるのは12日が最後で、翌日の13日から遊具を全面撤去する改修工事に入った。大型連休には全面芝生張りの広場として生まれ変わるという。太平洋戦争開戦直前の1939年(昭和14)3月から歴史を刻んできた「こどものくに」が遊園地としての歴史に幕を閉じたわけで、これは地元では大きなニュースになっているのではないかと思ったが、宮崎で生まれ育った私の親族たちは意外に無関心で拍子抜けした。

 写真は上から、青島海水浴場と青島、旧橘ホテル跡地、かつては土産品店が軒を連ねていた青島神社の参道。下がこどものくに、ホークスキャンプが行われている生目の杜運動公園。


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