旧高宮貝島邸の現状

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 福岡市南区高宮に残る筑豊の炭鉱王一族の邸宅跡、旧高宮貝島邸周辺を歩いてきた。ちょうど2年前、邸宅跡は公園として整備され、2017年度中には一般公開される予定だと報道されていた。私もこのブログでそう紹介したが、邸宅入り口は今なおフェンスで囲われ、2014年秋(「旧高宮貝島邸」)、15年春(「続・旧高宮貝島邸」)に写真撮影に来た際と全く変わらない状態だった。周囲の木柵が倒壊するなど、かえって荒廃が進んだかもしれない。改めて市の事業計画案を調べてみると、整備スケジュールが変更され、開園予定は2018~19年度に先送りされていた。

 邸宅の来歴について改めて簡単に紹介すると、旧高宮貝島邸とは貝島炭砿の創業者、貝島太助を支えた全盲の弟・嘉蔵の屋敷跡で、1915年(大正4)に直方市に建てられ、1927年(昭和2)に現在地に移築されてきた。1.9㌶の広大な敷地の中には母屋、茶室、衣装蔵の3棟約600平方㍍が現存する。敷地は市が23億円あまりを投じて約20年がかりで買い取り、建物は貝島家から寄贈を受けた。市は自然と歴史を生かした公園として整備したうえで一般開放する方針だったが、用地買収が長期化したこともあり、取り掛かりが遅れていた。

 建物の現状はどうなっているのだろうか。母屋らしき建物は、外周の道路からわずかに確認できるが、木立に遮られ全貌はわからない。築100年を超える建物だから相当老朽化が進んでいるだろうと想像していたが、市の公表資料に掲載されている写真を見た限りでは、内外装とも予想外にきれいな状態だった。1960年代頃から80年代前半頃までは米国領事や福岡アメリカンセンター館長の公邸として使われていたといい、30年以上前のこととは言え、やはり人が住んでいたことが良い方向に働いたのだろう。

 なお、この邸宅は貝島嘉蔵自身が設計したと、彼の伝記『偉盲貝島嘉蔵翁』(吉村誠、1918)に書かれている。嘉蔵は1880年、24歳で両目を突如失明しているが、『偉盲貝島嘉蔵翁』では「此建築に対しては、自ら設計し且つ監督せしといふに至っては、寧ろ氏の心眼余りに明にして盲目たるを疑はしむるものあり」と称賛している。著者の吉村誠は、嘉蔵と親交の深かった現在で言うところの特殊教育学校の校長だという。

 話を貝島邸の整備計画に戻すと、2015年12月策定の市の事業計画案では、建物の修復、庭園整備のほか、飲食施設の建設なども盛り込まれており、実際の整備と管理運営は民間企業に委ねる方針だという。スケジュール通りに進んでいるのならば、今年度中に企業の選定と設計が終わり、新年度からいよいよ工事に入るはずだが、整備の具体的な中身はおろか、事業を担う企業名さえまだ明らかになっていないことが少々気がかりだ。炭鉱王一族の豪邸を目に出来る機会が、また遠のかなければ良いのだが。

 蛇足をひとつ。このブログを書くに際して、少し呆れたものを見つけた。「旧高宮貝島邸」の一文がほぼそっくりそのまま某業界広報誌に掲載されていることに気付いたのだ。昨年3月発行号の表紙の写真説明に丸パクリされ、私とは縁もゆかりもない人物の名が堂々とクレジットされていた。ネットならまだしも紙媒体でこんなことをやられるとは…。


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